Nihoner

宮沢賢治 Kenji Miyazawa 1896.08.27〜1933.09.21

学者アラムハラドの見た着物

がくしゃアラムハラドのみたきもの

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学者がくしゃのアラムハラドはある年十一人ひとりの子を教えておりました。

みんな立派りっぱなうちの子こどもらばかりでした。

王さまのすぐ下の裁判官さいばんかんの子もありましたし農商のうしょうの大臣だいじんの子も居いました。また毎年まいとしじぶんの土地とちから十石こくの香油こうゆさえ穫とる長者ちょうじゃのいちばん目めの子こも居たのです。

けれども学者がくしゃのアラムハラドは小ちいさなセララバアドという子がすきでした。この子が何か答こたえるときは学者がくしゃのアラムハラドはどこか非常ひじょうに遠とおくの方の凍こおったように寂しずかな蒼黒あおぐろい空を感かんずるのでした。それでもアラムハラドはそんなに偉えらい学者がくしゃでしたからえこひいきなどはしませんでした。

アラムハラドの塾じゅくは街まちのはずれの楊やなぎの林の中にありました。

みんなは毎日まいにちその石で畳たたんだ鼠ねずみいろの床ゆかに座すわって古くからの聖歌せいかを諳誦あんしょうしたり兆ちょうよりももっと大おおきな数まで数えたりまた数を互たがいに加えたり掛かけ合せたりするのでした。それからいちばんおしまいには鳥や木や石やいろいろのことを習ならうのでした。

アラムハラドは長ながい白じろい着物きものを着て学者がくしゃのしるしの垂たれ布ぬののついた帽子ぼうしをかぶり低ひくい椅子いすに腰掛こしかけ右手みぎてには長ながい鞭むちをもち左手ひだりてには本を支ささえながらゆっくりと教えて行ゆくのでした。

そして空気くうきのしめりの丁度ちょうどいい日またむずかしい諳誦あんしょうでひどくつかれた次つぎの日などはよくアラムハラドはみんなをつれて山へ行きました。

このおはなしは結局けっきょく学者がくしゃのアラムハラドがある日自分じぶんの塾じゅくでまたある日山ひやまの雨の中でちらっと感かんじた不思議ふしぎな着物きものについてであります。

一

アラムハラドが言いました。

「火が燃もえるときは焔ほのおをつくる。焔というものはよく見ていると奇体きたいなものだ。それはいつでも動うごいている。動いているがやっぱり形もきまっている。その色はずいぶんさまざまだ。普通ふつうの焚火たきびの焔なら橙だいだいいろをしている。けれども木によりまたその場処ばしょによっては変へんに赤いこともあれば大たいへん黄きいろなこともある。硫黄いおうを燃せばちょっと眼めのくるっとするような紫むらさきいろの焔をあげる。それから銅どうを灼やくときは孔雀石くじゃくいしのような明あかるい青あおい火をつくる。こんなにいろはさまざまだがそれはみんなある同おんなじ性質せいしつをもっている。さっき云いったいつでも動いているということもそうだ。それは火というものは軽かるいものでいつでも騰のぼろう騰ろうとしている。それからそれは明あかるいものだ。硫黄いおうのようなお日さまの光の中ではよくわからない焔でもまっくらな処ところに持もって行けば立派りっぱにそこらを明るくする。火というものはいつでも照てらそう照らそうとしているものだ。それからも一つは熱あついということだ。火ならばなんでも熱あついものだ。それはいつでも乾かわかそう乾かそうとしている。斯こう云いう工合ぐあいに火には二つの性質せいしつがある。なぜそうなのか。それは火の性質せいしつだから仕方しかたない。そう云いう、熱あついもの、乾かそうとするもの、光ひかるもの、照らそうとするもの軽かるいもの騰ろうとするものそれを焔と呼よぶのだから仕方しかたない。

それからまたみんなは水をよく知っている。水もやっぱり火のようにちゃんときまった性質せいしつがある。それは物ものをつめたくする。どんなものでも水にあってはつめたくなる。からだをあつい湯ゆでふいても却かえってあとではすずしくなる。夏に銅の壺つぼに水を入れ壺の外側そとがわを水でぬらしたきれで固かたくつつんでおくならばきっとそれは冷ひえるのだ。なんべんもきれをとりかえるとしまいにはまるで氷こおりのようにさえなる。このように水は物をつめたくする。また水はものをしめらすのだ。それから水はいつでも低ひくい処へ下ろうとする。鉢はちの中に水を入いれるならまもなくそれはしずかになる。阿耨達池あのくだっちやすべて葱嶺パミールから南東なんとうの山の上の湖みずうみは多くは鏡かがみのように青く平たいらだ。なぜそう平たいらだかとならば水はみんな下に下ろうとしてお互たがい下くだれるとこまで落おち着つくからだ。波なみができたら必かならずそれがなおろうとする。それは波のあがったとこが下ろうとするからだ。このように水のつめたいこと、しめすこと下に行こうとすることは水の性質せいしつなのだ。どうしてそうかと云いうならばそれはそう云いう性質せいしつのものを水と呼よぶのだから仕方しかたない。

それからまたみんなは小鳥ことりを知っている。鶯うぐいすやみそさざい、ひわやまたかけすなどからだが小さく大たいへん軽かるい。その飛とぶときはほんとうによく飛とぶ。枝えだから枝へうつるときはその羽をひらいたのさえわからないくらい早く、青あおぞらを向むこうへ飛んで行ゆくときは一つのふるえる点のようだ。それほどこれらの鶯やひわなどは身軽みがるでよく飛とぶ。また一生いっしょうけん命めいに啼なく。うぐいすならば春にはっきり啼なく。みそさざいならばからだをうごかすたびにもうきっと啼いているのだ。

これらの鳥のたくさん啼いている林の中へ行けばまるで雨が降ふっているようだ。おまえたちはみんな知っている。このように小ちいさな鳥はよく飛とびまたよく啼なくものだ。それはたべ物ものをとってしまっても啼なくのをやめない。またやすまない。どうして疲つかれないかと思おもうほどよく飛とびまたよく啼なくものだ。

そんならなぜ鳥は啼なくのかまた飛とぶのか。おまえたちにはわかるだろう。鳥はみな飛ばずにいられないで飛とび啼かずに居いられないで啼なく。それは生うまれつきなのだ。

さて斯こう云いうふうに火はあつく、乾かわかし、照てらし騰のぼる、水はつめたく、しめらせ、下くだれる、鳥は飛とび、またなく。魚について獣けものについておまえたちはもうみんなその性質せいしつを考かんがえることができる。けれども一体いったいどうだろう、小鳥ことりが啼かないでいられず魚が泳およがないでいられないように人はどういうことがしないでいられないだろう。人が何としてもそうしないでいられないことは一体いったいどういう事だろう。考かんがえてごらん。」

アラムハラドは斯こう言って堅かたく口を結むすび十一人ひとりの子供こどもらを見まわしました。子供こどもらはみな一生いっしょうけん命めい考かんがえたのです。大人おとなのように指ゆびをまげて唇くちびるにあてたりまっすぐに床ゆかを見たりしました。その中で大臣だいじんの子のタルラが少すこし顔を赤くして口をまげてわらいました。

アラムハラドはすばやくそれを見て言いました。

「タルラ、答えてごらん。」

タルラは礼れいをしてそれから少すこし工合ぐあいわるそうに横よこの方を見ながら答えました。

「人は歩いたり物ものを言ったりいたします。」

アラムハラドがわらいました。

「よろしい。よくお前まえは答えた。全まったく人はあるかないでいられない。病気びょうきで永ながく床とこの上に居いる人はどんなに歩きたいだろう。ああ、ただも一度いちど二本ほんの足でぴんぴん歩いてあの楽地らくちの中の泉いずみまで行きあの冷つめたい水を両手りょうてで掬すくって呑のむことができたらそのまま死しんでもかまわないと斯こう思うだろう。またお前まえの答えたように人は物を言わないでいられない。

考かんがえたことをみんな言わないでいることは大たいへんにつらいことなのだ。そのため病気びょうきにさえもなるのだ。人がともだちをほしいのは自分じぶんの考かんがえたどんなことでもかくさず話はなしまたかくさずに聴ききたいからだ。だまっているということは本統ほんとうにつらいことなのだ。

たしかに人は歩かないでいられない、また物を言わないでいられない。けれども人にはそれよりももっと大切なものがないだろうか。足や舌したとも取とりかえるほどもっと大切なものがないだろうか。むずかしいけれども考かんがえてごらん。」

アラムハラドが斯こう言ゆう間タルラは顔をまっ赤かにしていましたがおしまいは少すこし青ざめました。アラムハラドがすぐ言いました。

「タルラ、も一度ひとたび答えてごらん。お前まえはどんなものとでもお前まえの足をとりかえないか。お前まえはどんなものとでもお前まえの足をとりかえるのはいやなのか。」

タルラがまるで小ちいさな獅子ししのように答えました。

「私は饑饉ききんでみんなが死しぬとき若もし私の足が無なくなることで饑饉ききんがやむなら足を切っても口惜くやしくありません。」

アラムハラドはあぶなく泪なみだをながしそうになりました。

「そうだ。おまえには歩あるくことよりも物ものを言ゆうことよりももっとしないでいられないことがあった。よくそれがわかった。それでこそ私の弟子でしなのだ。お前まえのお父さんは七年前の不作ふさくのとき祭壇さいだんに上って九日祷いのりつづけられた。お前まえのお父さんはみんなのためには命いのちも惜おしくなかったのだ。ほかの人たちはどうだ。ブランダ。言ってごらん。」

ブランダと呼よばれた子はすばやくきちんとなって答えました。

「人が歩あるくことよりも言ゆうことよりももっとしないでいられないのはいいことです。」

アラムハラドが云いいました。

「そうだ。私がそう言おうと思っていた。すべて人は善よいこと、正ただしいことをこのむ。善ぜんと正義せいぎとのためならば命を棄すてる人も多おおい。おまえたちはいままでにそう云いう人たちの話を沢山たくさんきいて来た。決けっしてこれを忘わすれてはいけない。人の正義せいぎを愛あいすることは丁度ちょうど鳥のうたわないでいられないと同おんなじだ。セララバアド。お前まえは何か言いたいように見まみえる。云いってごらん。」

小ちいさなセララバアドは少すこしびっくりしたようでしたがすぐ落おちついて答えました。

「人はほんとうのいいことが何だかを考かんがえないでいられないと思います。」

アラムハラドはちょっと眼めをつぶりました。眼をつぶったくらやみの中ではそこら中ぼうっと燐りんの火のように青く見え、ずうっと遠とおくが大たいへん青くて明るくてそこに黄金こがねの葉はをもった立派りっぱな樹きがぞろっとならんでさんさんさんと梢こずえを鳴らしているように思ったのです。アラムハラドは眼をひらきました。子供こどもらがじっとアラムハラドを見上げていました。アラムハラドは言いました。

「うん。そうだ。人はまことを求もとめる。真理しんりを求もとめる。ほんとうの道を求もとめるのだ。人が道を求もとめないでいられないことはちょうど鳥の飛とばないでいられないとおんなじだ。おまえたちはよくおぼえなければいけない。人は善ぜんを愛あいし道を求もとめないでいられない。それが人の性質せいしつだ。これをおまえたちは堅かたくおぼえてあとでも決けっして忘わすれてはいけない。おまえたちはみなこれから人生じんせいという非常ひじょうなけわしいみちをあるかなければならない。たとえばそれは葱嶺パミールの氷こおりや辛度しんどの流ながれや流沙るさの火やでいっぱいなようなものだ。そのどこを通とおるときも決けっして今の二つを忘わすれてはいけない。それはおまえたちをまもる。それはいつもおまえたちを教おしえる。決けっして忘わすれてはいけない。

それではもう日中にっちゅうだからみんなは立ってやすみ、食事しょくじをしてよろしい。」

アラムハラドは礼れいをうけ自分じぶんもしずかに立たちあがりました。そして自分じぶんの室に帰かえる途中とちゅうふとまた眼をつぶりました。さっきの美うつくしい青あおい景色けしきがまたはっきりと見えました。そしてその中にはねのような軽かるい黄金きんいろの着物きものを着た人が四人まっすぐに立っているのを見ました。

アラムハラドは急いそいで眼をひらいて少すこし首をかたむけながら自分じぶんの室に入いりました。

二

アラムハラドは子供こどもらにかこまれながらしずかに林へはいって行きました。

つめたいしめった空気くうきがしんとみんなのからだにせまったとき子供こどもらは歓呼かんこの声をあげました。そんなに樹きは高く深ふかくしげっていたのです。それにいろいろの太さの蔓つるがくしゃくしゃにその木をまといみちも大たいへんに暗くらかったのです。

ただその梢こずえのところどころ物凄ものすごいほど碧あおいそらが一きれ二きれやっとのぞいて見まみえるきり、そんなに林がしげっていればそれほどみんなはよろこびました。

大臣だいじんの子のタルラはいちばんさきに立って鳥を見てはばあと両手りょうてをあげて追おい栗鼠りすを見つけては高く叫さけんでおどしました。走ったりまた停とまったりまるで夢中むちゅうで進すすみました。

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Where this text comes from

This work is in the public domain — its copyright has expired. The digital text was produced by volunteers at Aozora Bunko (青空文庫), Japan's free digital library, from the printed edition named below.

Source edition (底本)
底本:「インドラの網」角川文庫、角川書店

   1996(平成8)年4月25日初版発行

底本の親本:「【新】校本宮澤賢治全集 第九巻 童話 本文篇」筑摩書房

   1995(平成7)年6月25日初版第1刷発行

入力:土屋隆

校正:田中敬三

2005年9月10日作成

2023年7月8日修正

※〔〕内の小活字による記載は、底本の親本の編者による説明の加筆です。

青空文庫作成ファイル:

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Typed by (入力)
土屋隆
Proofread by (校正)
田中敬三

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