Nihoner

宮沢賢治 Kenji Miyazawa 1896.08.27〜1933.09.21

泉ある家

いずみあるいえ

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これが今日きょうのおしまいだろう、と云いいながら斉田さいたは青あおじろい薄明はくめいの流ながれはじめた県道けんどうに立って崖がけに露出ろしゅつした石英斑岩せきえいはんがんから一かけの標本ひょうほんをとって新聞しんぶん紙に包んだ。

富沢とみざわは地図ちずのその点に橙だいだいを塗ぬって番号ばんごうを書かきながら読んだ。斉田さいだはそれを包ずつみの上に書かきつけて背嚢はいのうに入れた。

二人ふたりは早く重おもい岩石がんせきの袋ふくろをおろしたさにあとはだまって県道けんどうを北へ下った。

道の左には地図ちずにある通とおりの細こまい沖積地ちゅうせきちが青金あおがねの鉱山こうざんを通って来くる川に沿そって青くけむった稲いねを載のせて北へ続つづいていた。山の上では薄明穹はくめいきゅうの頂いただきが水色すいしょくに光った。俄にわかに斉田さいだが立ちどまった。道の左側ひだりがわが細こまい谷になっていてその下で誰だれかが屈かがんで何かしていた。見みるとそこはきれいな泉いずみになっていて粘板岩ねんばんがんの裂さけ目から水があくまで溢あふれていた。

(一寸ちょっとおたずねいたしますが、この辺へんに宿屋やどやがあるそうですがどっちでしょうか。)

浴衣ゆかたを着きた髪かみの白じろい老人ろうじんであった。その着こなしも風采ふうさいも恩給おんきゅうでもとっている古ふるい役人やくにんという風だった。蕗ふきを泉いずみに浸ひたしていたのだ。

(宿屋やどやここらにありません。)

(青金あおがねの鉱山こうざんできいて来たのですが、何でも鉱山こうざんの人たちなども泊とめるそうで。)

老人ろうじんはだまってしげしげと二人ふたりの疲つかれたなりを見た。二人ふたりとも巨おおきな背嚢はいのうをしょって地図ちずを首からかけて鉄槌かなづちを持もっている。そしてまだまるでの子供こどもだ。

(どっちからお出いでになりました。)

(郡ぐんから土性調査どせいちょうさをたのまれて盛岡もりおかから来たのですが。)

(田畑たはたの地味ちみのお調しらべですか。)

(まあそんなことで。)

老人ろうじんは眉まゆを寄よせてしばらく群青ぐんじょういろに染そまった夕ぞらを見た。それからじつに不思議ふしぎな表情ひょうじょうをして笑わらった。

(青金あおがねで誰だれか申もうし上げたのはうちのことですが、何分なにぶん汚きたないし、いろいろ失礼しつれいばかりあるので。)(いいえ、何もいらないので。)

(それではそのみちをおいでください。)

老人ろうじんはわずかに腰こしをまげて道と並行へいこうにそのまま谷をさがった。五、六歩行あるくとそこにすぐ小ちいさな柾屋まさやがあった。みちから一間けんばかり低ひくくなって蘆あしをこっちがわに塀へいのように編あんで立てていたのでいままで気がつかなかったのだ。老人ろうじんは蘆あしの中につくられた四角しかくなくぐりを通って家の横よこに出た。二人ふたりはみちから家の前におりた。

(とき、とき、お湯ゆ持もって来こ。)老人ろうじんは叫さけんだ。家のなかはしんとして誰だれも返事へんじをしなかった。けれども富沢とみざわはその夕暗ゆうやみと沈黙ちんもくの奥おくで誰かがじっと息いきをこらして聴きき耳をたてているのを感かんじた。

(いまお湯をもって来ますから。)老人ろうじんはじぶんでとりに行ゆく風だった。(いいえ。さっきの泉いずみで洗あらいますから、下駄げたをお借かりして。)老人ろうじんは新あたらしい山桐やまぎりの下駄げたとも一つ縄緒なわおの栗くりの木下駄げたを気の毒どくそうに一つもって来た。

(どうもこんな下駄げたで。)(いいえもう結構けっこうで。)

二人ふたりはわらじを解といてそれからほこりでいっぱいになった巻脚絆まきぎゃはんをたたいて巻まき俄にわかに痛いたむ膝ひざをまげるようにして下駄げたをもって泉に行った。泉はまるで一つの灌漑かんがいの水路すいろのように勢いきおいよく岩の間から噴ふき出ていた。斉田さいたはつくづくかがんでその暗くらくなった裂さけ目を見て云いった。(断層泉だんそうせんだな。)(そうか。)

富沢とみざわは蕗ふきをつけてある下のところに足を入れてシャツをぬいで汗あせをふきながら云った。

頭を洗あらったり口をそそいだりして二人ふたりはさっきのくぐりを通って宿やどへ帰って来た。その煤すすけた天照大神あまてらすおおみかみと書いた掛物かけものの床とこの間まの前には小ちいさなランプがついて二枚まいの木綿もめんの座布団ざぶとんがさびしく敷しいてあった。向むこうはすぐ台所だいどころの板いたの間まで炉ろが切ってあって青あおい煙けむりがあがりその間にはわずかに低ひくい二枚折まいおりの屏風びょうぶが立っていた。

二人ふたりはそこにあったもみくしゃの単衣ひとえを汗あせのついたシャツの上に着きて今日きょうの仕事しごとの整理せいりをはじめた。富沢とみざわは色鉛筆いろえんぴつで地図ちずを彩いろどり直なおしたり、手帳てちょうへ書き込こんだりした。斉田さいたは岩石がんせきの標本番号ひょうほんばんごうをあらためて包つつみ直したりレッテルを張はったりした。そしてすっかり夜になった。

さっきから台所だいどころでことことやっていた二十はたちばかりの眼めの大おおきな女がきまり悪わるそうに夕食ゆうげを運はこんで来た。その剥はげた薄うすい膳ぜんには干ほした川魚かわなを煮にた椀わんと幾片いくへんかの酸すえた塩漬しおづけの胡瓜きゅうりを載のせていた。二人ふたりはかわるがわる黙だまって茶椀ちゃわんを替かえた。

(この家はあのおじいさんと今の女の人と二人ふたり切りなようだな。)膳が下さげられて疲つかれ切ったようにねそべりながら斉田さいだが低く云いった。

(うん。あの女の人は孫娘まごむすめらしい。亭主ていしゅはきっと礦山こうざんへでも出ているのだろう。)ひるの青金あおがねの黄銅鉱おうどうこうや方解石ほうかいせきに柘榴石ざくろいしのまじった粗鉱そこうの堆たいを考かんがえながら富沢とみざわは云った。女はまた入って来た。そして黙って押入おしいれをあけて二枚のうすべりといの角枕かくまくらをならべて置おいてまた台所だいどころの方へ行った。

二人ふたりはすっかり眠ねむる積つもりでもなしにそこへ長くなった。そしてそのままうとうとした。

ダーダーダーダーダースコダーダー

強こわい老人ろうじんらしい声が剣舞けんばいの囃はやしを叫さけぶのにびっくりして富沢とみざわは目をさました。台所だいどころの方で誰だれか三、四人の声ががやがやしているそのなかでいまの声がしたのだ。

ランプがいつか心しんをすっかり細ほそめられて障子しょうじには月の光が斜ななめに青じろく射さしている。盆ぼんの十六日むいかの次つぎの夜なので剣舞けんぶの太鼓たいこでも叩たたいたじいさんらなのかそれともさっきのこのうちの主人しゅじんなのかどっちともわからなかった。

(踊おどりはねるも三十さんじゅうがしまいって、さ。あんまりじさまの浮うかれだのも見だぐなぃもんさ。)むっとしたような慓悍ひょうかんな三十さんじゅう台の男の声がした。そしてしばらくしんとした。

(雀すずめ百まで踊おどり忘わすれずでさ。)さっきの女らしい細こまい声が取とりなした。

(女あね※

引ぱりも百までさ。)またその慓悍ひょうかんな声が刺さすように云いった。そしてまたしんとした。そして心配しんぱいそうな息いきをこくりとのむ音が近ちかくにした。富沢とみざわは蚊帳かやの外にここの主人しゅじんが寝ねながらじっと台所だいどころの方へ耳をすましているのを半分はんぶん夢ゆめのように見た。

(さあ帰って寝ねるかな。もっ切きり二っつだな。そいでぁこいづと。)(戻もどるすか。)さっきの女の声がした。こっちではきせるをたんたん続つづけて叩いていた。(亦また来くるべぃさ。)何だか哀あわれに云いって外へ出たらしい音がした。

あとはもう聞えないくらいの低ひくい物言ものいいで隣となりの主人しゅじんからは安心あんしんに似にたようなしずかな波動はどうがだんだんはっきりなった月つきあかりのなかを流ながれて来た。そして富沢とみざわはまたとろとろした。次々つぎつぎうつるひるのたくさんの青あおい山々の姿すがたや、きらきら光ひかるもやの奥おくを誰だれかが高く歌を歌いながら通ったと思ったら富沢とみざわはまた弱く呼よびさまされた。おもての扉とを誰か酔よったものが歌いながら烈はげしく叩たたいていて主人しゅじんが「返事へんじするな、返事へんじするな。」と低く娘むすめに云っていた。さっきの男も帰って娘もどこかに寝ているらしかった。「寝たのか、まだ明るぞ。起おきろ。」

外ではまたはげしくどなった。

(ああこんなに眠ねむらなくては明日あすの仕事しごとがひどい。)富沢とみざわは思おもいながら床とこの間まの方にいた斉田さいたを見た。

斉田さいだもはっきり目をあいていて低く鉱夫こうふだなと云った。富沢とみざわは手をふって黙だまっていろと云った。こんなときものを云いうのは老人ろうじんにどうしても気の毒どくでたまらなかった。

外ではいよいよ暴あばれ出した。とうとう娘が屏風びょうぶの向むこうで起きた。そして(酔ったぐれ、大だいきらいだ。)とどうやらこっちを見ながらわびるように誘さそうようになまめかしく呟つぶやいた。そして足音あしおともなく土間どまへおりて戸をあけた。外ではすぐしずまった。女はいろいろ細こまい声で訴うったえるようにしていた。男は酔よっていないような声でみじかく何か訊ききかえしたりしていた。それから二人ふたりはしばらく押問答おしもんどうをしていたが間もなく一人ひとりともつかず二人ふたりともつかず家のなかにはいって来てわずかに着物きもののうごく音などした。そしていっぱいに気兼きがねや恥はじで緊張きんちょうした老人ろうじんが悲かなしくこくりと息いきを呑のむ音がまたした。

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Where this text comes from

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Source edition (底本)
底本:「ポラーノの広場」角川文庫、角川書店

   1996(平成8)年6月25日初版発行

底本の親本:「【新】校本宮澤賢治全集 第十二巻 童話・劇・その他 本文篇」筑摩書房

   1995(平成7)年11月25日初版第1刷発行

入力:ゆうき

校正:noriko saito

2009年8月15日作成

2023年7月7日修正

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Typed by (入力)
ゆうき
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noriko saito

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