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寺田寅彦 Torahiko Terada 1878.11.28〜1935.12.31

浅間山麓より

あさまさんろくより

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真夏まなつの正午しょうご前の太陽たいように照りつけられた関東かんとう平野ひらのの上には、異常いじょうの熱量ねつりょうと湿気しっきとを吸込んだ重苦おもくるしい空気くうきが甕かめの底のおりのように層積そうせきしている。その層の一番いちばんどん底ぞこを潜って喘あえぎ喘ぎ北進ほくしんする汽車きしゃが横川よかわ駅を通過つうかして碓氷峠うすいとうげの第一だいいちトンネルにかかるころには、もうこの異常いじょう高温こうおん層の表面ひょうめん近ちかく浮かみ上がって、乗客じょうきゃくはそろそろ海抜かいばつ五百ごひゃくメートルの空気くうきを皮膚ひふに鼻にまた唇に感かんじはじめる。そうして頂上ちょうじょうの峠の海抜かいばつ九百きゅうひゃく五十ごじゅうメートルまで、実げに四百しひゃく五十ごじゅうメートルの高さをわずかの時間じかんの間に客車きゃくしゃの腰掛こしかけに腰かけたままで上昇じょうしょうする。そうして普通ふつうの上空じょうくう気温きおん低下ていか率から計算けいさんしても約摂氏せっし五度ほどの気温きおん降下こうかを経験けんする。それで乗客じょうきゃくの感覚かんかくの上では、恰度ちょうどかなりな不連続れんぞく線の通過つうかに遭遇そうぐうしたと同等どうとうな効果こうかになるわけである。しかし、乗客じょうきゃくはみな、そんな面倒めんどうなことなどは考かんがえないで「ああ涼すずしい」という。科学的がくてきな客観きゃっかん的な言葉ことばを用いたがる現代人だいにんは「空気くうきがちがって来た」というのである。一と月後には下の平野ひらのにおとずれるはずの初秋しょしゅうがもうここまで来ているのである。

沓掛くつかけ駅の野天のてんのプラットフォームに下りたった時の心持こころもちは、一駅前えきまえの軽井沢かるいざわとは全く別である。物々しさの代りに心安こころやすいさがある。

星野ほしの温泉おんせん行のバスが、千ヶ滝せんがたき道から右に切ぎれると、どこともなくぷんと強こわい松の匂においがする。小松こまつのみどりが強烈きょうれつな日光にっこうに照らされて樹脂じゅし中の揮発きはつ成分せいぶんを放散ほうさんするのであろう。この匂においを嗅かぐと、少年しょうねん時代じだいに遊び歩いた郷里ごうりの北山きたやまの夏の日の記憶きおくが、一度ひとたびに爆発ばくはつ的に甦って来くるのを感かんじる。

宿に落着いてから子供こども等と裏の山をあるいていると、鶯うぐいすが鳴き郭公かっこうが呼よぶ。落葉松からまつの林中りんちゅうには蝉時雨せみしぐれが降り、道端みちばたには草藤くさふじ、ほたるぶくろ、ぎぼし、がんぴなどが咲き乱れ、草苺くさいちごやぐみに似た赤あかいものが実っている、沢へ下おりると細流さいりゅうにウォータークレスのようなものが密生みっせいし、柵囲かこいの中には山葵わさびが作ってある。沢の奥の行きづまりには崩れかかったプールの廃墟はいきょに水馬みずすましがニンプの舞踊ぶようを踊っている。どこか泉鏡花きょうかの小説しょうせつを想わせるような雰囲気ふんいきを感かんじる。

翌日あくるひ自動じどう車で鬼押出おにおしだしの溶岩ようがん流を見物けんぶつに出でかけた。千ヶ滝から峰の茶屋ちゃやへの九十九折つづらおりの坂道さかみちの両脇りょうわきの崖を見みると、上から下まで全部ぜんぶが浅間あさまから噴出ふんしゅつした小粒こつぶな軽石かるいしの堆積たいせきであるが、上端じょうたんから約一メートルくらい下に、薄うすい黒土こくどの層があって、その中に樹の根や草くさの根ねの枯れ朽ちたのが散在さんざいしている。事によると、昔のある時代じだいに繁茂しげもちしていた植物しょくぶつのコロニーが、ある年の大噴火ふんかで死滅しめつし、その上に一メートルほどの降砂こうさが堆積たいせきした後に、再ふたたび植物しょくぶつの移住いじゅう定着ていちゃくが始はじまり、その後は無事ぶじで今日きょうに到ったのではないかという気がする。

峰の茶屋ちゃやには白黒しろくろだんだらの棒を横たえた踏切ふみきりのような関門かんもんがある。ここで関守せきもりの男が来て「通行つうこう税」を一円いちえんとって還り路の切符きっぷを渡わたす。二十にじゅう余年の昔、ヴェスヴィアスに登った時にも火口かこう丘の上のぼり口ぐちで「税」をとられた。その時はこの税の意味いみを考かんがえたが遂ついに分からなかった。この峰の茶屋ちゃやの税もやはり不思議ふしぎな税の一つである。あとで聞きくとこれは箱根はこね土地とち株式かぶしき会社かいしゃの作った道路どうろで専用せんよう道路どうろだからとの事であった。

峰の茶屋ちゃやから先の浅間あさま東北麓ほくろくの焼野やけのの眺ながめは壮大そうだいである。今の世智辛せちがらい世よの中なかに、こんな広大こうだいな「何どの役にも立たない」地面じめんの空白くうはくを見みるだけでも心持こころもちがのびのびするのである。こんなところで天幕テント生活せいかつをしたらさぞ愉快ゆかいであろうといったら、運転うんてん手が、しかし水が一滴もありませんという。金のある人は、寝台しんだいや台所だいどころのついたカミオンに乗って出掛でかけたらいいだろうと思われるが、まだ日本にぽんにはそういう流行はやりはないようである。

鬼押出おにおしだし熔岩ようがん流の末端まったんの岩塊がんかいをよじ上ってみた。この脚下きゃっかの一と山だけのものをでも、人工じんこうで築きずき上あげるのは大変たあいへんである。一つ一つの石塊いしくれを切きり出だし、運搬うんぱんし、そうしてかつぎ上あげるのは容易たやすいでない。しかし噴火ふんか口から流ながれ出でるした熔岩ようがんは、重力じゅうりょくという「鬼」の力で押されて山腹さんぷくを下り、その余力よりょくのほんのわずかな剰余じょうよで冷却れいきゃく固結こけつした岩塊がんかいを揉もみ砕き、つかみ潰して訳もなくこんなに積つみ上あげたのである。

岩塊がんかいの頂上ちょうじょうに紅白こうはくの布片ふへんで作った吹ふき流ながしが立っている。その下にどこかの天てんぷら屋の宣伝せんでん札らしいものがある。火山かざんに天てんぷらは縁があると思えば可笑おかしい。

岩塊がんかいの頂で偶然ぐうぜん友人ゆうじんN君の一行ひとくだりに逢った。その案内あんないで程近ほどちかい洞穴どうけつの底に雪のある冷泉れいせんを紹介しょうかいされた。小ちいさな洞穴どうけつの口では真冬まふゆの空気くうきと真夏まなつの空気くうきが戦って霧を醸かもしていた。N君からはまた浅間葡萄あさまぶどうという高山こうざん植物しょくぶつにも紹介しょうかいされた。われわれの「葡萄ぶどう」に比くらべると、やはり、きりっと引きしまった美うつくしい姿をしている。強こわい紫外しがい線と烈はげしい低温ていおんとに鍛練たんれんされた高山こうざん植物しょくぶつにはどれを見ても小気味きみのよい緊張きんちょうの姿がある。これに比くらべると低地ていちの草木そうもくにはどこかだらしのない倦怠けんたいの顔付かおつきが見まみえるようである。

帰がえりに、峰の茶屋ちゃやで車を下りて眼の上の火山かざんを見上みかみげた。代赭色たいしゃいろを帯びた円まるい山の背を、白じろいただ一筋ひとすじの道が頂上ちょうじょうへ向って延のびている。その末はいつとなく模糊もこたる雲煙うんえんの中に没しているのが誘惑ゆうわく的である。ちょっと見みると一と息で登れそうな気がするが、上のぼり口ぐちの立たて札ふだには頂上ちょうじょうまで五時間じかんを要し途中一ちゅういち滴の水もないと書いてある。誘惑ゆうわくにはうっかり乗れない。

第一日ついたちには頂上ちょうじょうまでの五分の一だけ登って引返ひきかえし、第二日目にちもくは休息きゅうそく、第三日は五分の二までで引返ひきかえし、第四日休息きゅうそく、アンド・ソー・オン。そうして第八日第九日目にちもくを十分じゅうぶんに休養きゅうようした後に最後さいごの第十日目にちもくに一気いっきに頂上ちょうじょうまで登のぼる、という、こういうプランで遂行すいこうすれば、自分じぶんのような足弱あしよわでも大丈夫だいじょぶ登のぼれるであろう。

こんなことをいいながら星野ほしのの宿へ帰って寝た。ところがその翌日あくるひは両方りょうほうの大腿だいたいの筋肉きんにくが痛んで階段かいだんの上下うえしたが困難こんなんであった。昨日さくじつ鬼押出おにおしだしの岩堆がんたいに登った時に出来しゅったいた疲労ひろう素の中毒ちゅうどくであろう。これでは十日計画けいかくの浅間あさま登山とざんプランも更さらに考慮こうりょを要ようする訳である。

宿の夜明よあけ方に時鳥ほととぎすを聞いた。紛まぎれもないほととぎすである。郷里ごうり高知こうちの大高坂城おおたかさかじょうの空を鳴いて通とおるあのほととぎすに相違そういない。それからまた、やはり夜明よあけごろに窓外そうがいの池の汀みぎわで板片いたきれを叩たたくような音がする。間もなく同おんなじ音がずっと遠とおくから聞きこえる。水鶏くいなではないかと思おもう。再ふたたび眠ねむりに落おちてうとうとしながら、古ふるい昔に死んだ故郷こきょうの人の夢を見た。フロイドの夢判断はんだんに拠よるまでもなく、これは時鳥ほととぎすや水鶏くいなが呼よび出だしした夢であろう。

宿の庭の池に鶺鴒せきれいが来くる。夕方ゆうがた近ちかくなると、どこからともなく次第しだいに集まって来て、池いけの上うえを渡わたす電線でんせんに止まるのが十何羽と数えられることがある。ときどき汀の石の上や橋の上に降り立って尻尾しっぽを振動しんどうさせている。不意ふいに飛び立って水面すいめんをすれすれに飛とびながら何かしら啄ついばんでは空中くうちゅうに飛とび上あがる。水面すいめんを掠かすめてとぶ時に、あの長ながい尾の尖端せんたんが水面すいめんを撫なでて波紋はもんを立てて行ゆく。それが一種いっしゅの水平舵すいへいだのような役目やくめをするように見まみえる。それにしてもこの鳥が地上ちじょうに下りている時に絶えず尾を振動しんどうさせるのはどういう意味いみだか分からない。ああやっている方が、急に飛出とびだすときに身体しんたいの釣合つりあいをとるために好都合つごうかとも思ってみる。実際じっさい電線でんせんに止まって落着いている時はほとんど尾を静止せいしさせている。それが飛出とびだす前にはまた振動しんどうをはじめる。飛んで来て止まった時には最初さいしょ大きく振ふれるが急速きゅうそくな減衰げんすい振動しんどうをして止とどめてしまう。どうもこの鳥の心の動うごきが尾の振動しんどうに現あらわれるように見まみえるのである。

「この辺には雀がいない」と子供こどもがいう。なるほどまだ一度ひとたびも雀の顔を見ない。もしかすると鶺鴒せきれいの群がこの辺の縄張なわばりを守っていて雀の侵入しんにゅう者を迫害はくがいするのではないか。そんな臆説おくせつも考かんがえられる。

池に家鴨あひるがただ一羽いる。それが何だか淋しそうである。家鴨あひるは群むれている方が家鴨あひるらしく、白鳥しらとりは一、二羽の方が白鳥しらとりらしい。

夕方ゆうがたになって池の面が薄うすい霧のヴェールに蔽われるころになると何かしらほのかな花の匂においが一面いちめんに立たちこめる。恰度ちょうど月見つきみ草が一時いちじに開あくころである。咲いた月見つきみ草の花を取って嗅いでみてもそんな匂においはしない。あるいはこの花の咲さく瞬間しゅんかんに放散ほうさんする匂いではあるまいか。そんなことを話はなしながら宿のヴェランダで子供こどもらと、こんな処でなければめったにする機会きかいのないような話をするのである。

時候じこうは夏でも海抜かいばつ九百きゅうひゃくメートル以上いじょうにはもう秋が支配しはいしている。秋は山から下りて来くるという代りに、秋は空中くうちゅうから降りて来くるともいわれるであろう。

(追記ついき) 本文中ぶんちゅうに峰の茶屋ちゃやへの途中とちゅう、地表ちひょうから約一メートルに黒土こくどの薄層はくそうがあって、その中に枯かれた木の根があるので、古ふるい昔の植物しょくぶつの埋没まいぼつしたものではないかという想像そうぞうを書いておいた。その後同おんなじ場所ばしょに行ってよく調しらべてみると、これらの樹の根には生きているのもある。これで見みると、現在げんざい生えている樹木じゅもくの根が、養分ようぶんの多おおいこの黒土層どそうを追おうて拡がっているのだということが分わかる。それにしてもこの黒土層どそうの由来ゆらいはやはり前に考かんがえたようなものであろうと思われる。

(昭和しょうわ八年十月かんなずき『週刊しゅうかん朝日あさひ』)

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First published
「週刊朝日」1933(昭和8)年10月
Source edition (底本)
底本:「寺田寅彦全集 第四巻」岩波書店


   1997(平成9)年3月5日発行

入力:Nana ohbe

校正:浅原庸子

2004年12月13日作成

青空文庫作成ファイル:

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Typed by (入力)
Nana ohbe
Proofread by (校正)
浅原庸子

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