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寺田寅彦 Torahiko Terada 1878.11.28〜1935.12.31

雨の上高地

あめのかみこうち

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山好やまずきの友人ゆうじんから上高地かみこうち行を勧すすめられる度に、自動じどう車が通つうじるようになったら行ゆくつもりだといって遁にげていた。その言質げんちをいよいよ受け出さなければならない時節じせつが到来とうらいした。昭和しょうわ九年九月二十にじゅう九日の早朝そうちょう新宿しんじゅく駅中央ちゅうおう線プラットフォームへ行って汽車きしゃを待っていると、湿しめっぽい朝風あさかぜが薄うすい霧を含んでうそ寒く、行先いきさきの天気てんきが気遣きずかいわれたが、塩尻しおじりまで来くるととうとう小雨こさめになった。松本まつもとから島々しましままでの電車でんしゃでも時々降ふるかと思うとまた霽はれたりしていた。行手ぎょうての連峰れんぽうは雨雲あまぐもの底面ていめんでことごとくその頂を切り取られて、山々はただ一面いちめんに藍灰色らんかいしょくの帷帳とばりを垂たれたように見えている。その幕の一部いちぶを左右さゆうに引きしぼったように梓川あずさがわの谿谷けいこくが口を開いている。それが、まだ見ぬ遠とおい彼方かなたの別世界せかいへこれから分わけのぼる途中とちゅうの嶮けわしさを想わせるのであった。

島々からのバスの道路どうろが次第しだい次第しだいに梓川あずさがわの水面すいめんから高く離はなれて行ゆく。ある地点ちてんでは車の窓から見下ろされる断崖だんがいの高さが六百ろっぴゃく尺だといって女車掌しゃしょうが紹介しょうかいする。それが六百ろっぴゃく尺であることがあたかもその車掌しゃしょうのせいででもあるかのように、何となく得意気いきに聞こえて面白おもしろい。

近在きんざいの人らしい両親りょうしんに連ずれられた十歳くらいの水兵服へいふくの女おんなの子こが車に酔ようて何度ももどしたりして苦しそうであるが、苦くるしいともいわずに大人しく我慢がまんしているのが可哀相かわいそうであった。白骨しらほね温泉おんせんへ行ゆくのだそうで沢渡さわんどで下りた。子供こどもも助かったであろうが自分じぶんもほっとした。もどしたものを母親ははおやが小ちいさな玩具がんぐのバケツへ始末しまつしていた、そのバケツの色彩しきさいが妙に眼について今でも想い出される。

途中とちゅうで乗客じょうきゃくが減ったのでバスから普通ふつうの幌自動じどう車に移された。その辺からまた道路どうろが川の水面すいめんに近ちかくなる。河の水面すいめんのプロフィルが河長に沿そうて指数しすう曲線きょくせんか双曲線きょくせんのような恰好かっこうをしている。その脇に沿そうてほぼ同おんなじ勾配こうばいの道路どうろをつけるから、自然じねんに途中とちゅうで道と河との高度こうど差の最大さいだいな処が出来できるのであろうかと思われた。

水力すいりょく発電はつでん所が何カ所しょかある。その中には日本にぽん一の落差らくさで有名ゆうめいだというのがある。大正たいしょう池からそこまで二里に近い道程みちのりを山腹さんぷくに沿そうて地中ちちゅうの闇に隧道トンネルを掘ほり、その中を導いて緩ゆるやかに流ながして来た水を急転きゅうてん直下ちょっかさせてタービンを動うごかすのである。この工事こうじを県当局とうきょくで認可にんかする交換こうかん条件じょうけんとして上高地かみこうちまでの自動じどう車道路どうろの完成かんせいを会社かいしゃに課したという噂話うわさばなしを同乗どうじょうの客の一人ひとりから聞かされた。こうした工事こうじが天然てんねんの風致ふうちを破壊はかいするといって慨嘆がいたんする人もあるようであるが自分じぶんなどは必かならずしもそうとばかりは思わない。深山しんざん幽谷ゆうこくの中に置かれた発電はつでん所は、われわれの眼にはやはりその環境かんきょうにぴったりはまってザハリッヒな美しさを見せている。例たとえば悪趣味しゅみで人を呼よぶ都会とかいの料理りょうり屋の造つくり庭にわの全く無意味いみなこけおどしの石燈籠とうろうなどよりも、寸分すんぶん無駄むだのない合理ごうり的な発電はつでん所や変圧へんあつ所の方がどのくらい美しく気持きもちがよいか比較ひかくにならないように思われるのである。

進すすむに従って両岸りょうがんの景色けいしょくが何となく荒涼こうりょうに峻険しゅんけんになって来くるのが感ぜられた。崖の崩れた生なま生なましい痕が現あらわになり渓流けいりゅうの中にも危岩きがんが聳そびえ立って奔流ほんりゅうを苛立いらだたせている処もある。

大おおきな崖崩がけくずれで道路どうろのこわれたあとがもう荒まし修繕しゅうぜんが出来しゅったいていた。そこへ内務ないむ省と大きく白ペンキでマークしたトラックが一台道を塞ふさいで止まってその上に一杯いっぱいに積んだ岩塊がんかいを三、四人の人夫にんぷが下おろしていた。それがすむまでわれわれの車は待たなければならないので車から下りて煙草たばこを吸いつけながらその辺に転がっている岩塊がんかいを検査けんさした。安山あんざん岩かと思われる火山かざん岩塊がんかいの表面ひょうめんが赤色あかさびいろに風化ふうかしたのが多おおい。いつかの昔の焼岳やけだけの噴火ふんかの産物さんぶつがここまで流転るてんして来たものと思われた。一時いちじ止んでいた小雨こさめがまた思おもい出でしたようにこぼれて来て口にくわえた巻煙草たばこを濡らした。

最後さいごの隧道ずいどうを抜ぬけていよいよ上高地かみこうちの関門かんもんをくぐったとき一番いちばんに自分じぶんの眼に映じた美うつくしい見みものは、昔から写真しゃしんでお馴染なじみの大正たいしょう池の眺ながめではなくて、恰度ちょうどその時雲の霽間はれまにその全貌ぜんぼうを現わした焼岳やけだけの姿と色彩しきさいとであった。

大正たいしょう年間ねんかんの大噴火ふんかに押おし出だした泥流でいりゅうを被かぶらなかったと思われる部分ぶぶんの山腹さんぷくは一面いちめんにレモン黄色こうしょくと温あたたかい黒土色つちいろとの複雑ふくざつなニュアンスをもって彩いろどられた草原くさはらに白く曝さらされた枯木こぼくの幹が疎まばらに点在てんざいしている。そうして所々に露出ろしゅつした山骨さんこつは青あおみがかった真珠しんじゅのような明あかるい銀灰色はいいろの条痕じょうこんを成なして、それがこの山の立体りったい的な輪郭りんかくを鋭く大胆だいたんなタッチで描出びょうしゅつしているのである。今までにずいぶん色々な山も見て来たが、この日この時に見た焼岳やけだけのような美しく珍めずらしい色彩しきさいをもった山を見みるのは全く初はじめてであるという気がした。

音に聞きく大正たいしょう池の眺ながめは思おもいのほかに殺風景さっぷうけいに思われた。しかし池畔ちはんからホテルへのドライヴウェーは、亭々ていていたる喬木きょうぼくの林を切開いて近頃ちかごろ出来上がったばかりだそうであるが、樹々も路面ろめんもしっとり雨を含んで見みるからに冷涼れいりょうの気が肌に迫せまる。道路どうろの真中まなかに大おおきな樹のあるのを切残のこしてあるのも愉快ゆかいである。

スイスあたりの山のホテルを想わせるような帝国ていこくホテルは外側そとがわから観賞かんしょうしただけで梓川あずさがわの小橋こばしを渡わたり対岸たいがんの温泉おんせんホテルという宿屋やどやに泊った。新築しんちく別館べっかんの二階にかいの一室いっしつに落ちついた頃は小雨こさめが一時いちじ止んで空が少すこし明るくなった。

窓際まどぎわの籐椅子とういすに腰かけて、正面しょうめんに聳そびえる六百山ろっぴゃくざんと霞沢山かすみざわやまとが曇天どんてんの夕空ゆうぞらの光に照らされて映うつし出でるした色彩しきさいの盛観せいかんに見惚みとれていた。山頂さんちょう近ちかく、紺青こんじょうと紫とに染そめられた岩の割目われめを綴つづるわずかの紅葉もみじはもう真紅しんくに色づいているが、少すこし下がった水準すいじゅんではまだようやく色づき初はじめたほどであり、ずっと下の方はただ深浅しんせんさまざまの緑に染そめ分わけられ、ほんのところどころに何かの黄葉こうようを点綴てんていしているだけである。夏から秋へかけての植物界ぶっかいの天然てんねんの色彩しきさいのスペクトルが高さ約千メートルの岩壁がんぺきの下から上に残らず連続れんぞく的に展開てんかいされているのである。

眼下がんかの梓川あずさがわの眺ながめも独自どくじなものである。白っぽい砂礫されきを洗あらう水の浅緑あさみどり色も一種いっしゅ特別とくべつなものであるが、何よりも河の中洲なかすに生えた化粧柳けしょうやなぎの特異とくいな相貌そうぼうはこれだけでも一度ひとたびは来て見みる甲斐かいがあると思われた。この柳は北海道ほっかいどうにはあるが内地ないちではここだけに限られた特産とくさん種で春の若芽わかめが真赤まっかな色をして美しいそうである。

夕飯ゆうはんの膳には名物めいぶつの岩魚いわなや珍めずらしい蕈きのこが運ばれて来た。宿の裏の瀦水池ちょすいちで飼ってある鰻うなぎの蒲焼かばやきも出た。ここでしばらく飼かうと脂気あぶらけが抜ぬけてしまうそうで、そのさっぱりした味がこの土地とちに相応ふさわしいような気もした。

宿の主人しゅじんは禿頭とくとうの工合ぐあいから頬髯ほおひげまで高橋たかはし是清これきよ翁によく似ている。食後しょくごに話はなしに来て色々面白おもしろいことを聞かされた。残雪ざんせつがまだ消えやらず化粧けわい柳の若芽わかめが真紅しんくに萌もえ立つ頃には宿の庭先にわさきに兎が子供こどもを連ずれて遊あそびに来たり、山鳥やまどりが餌をあさり歩あるくことも珍しくないそうである。

夜中やちゅう雨が降って翌朝よくあさは少すこし小降こぶりにはなったがいつ止やむとも見えない。宿の番傘ばんがさを借かりて明神池みょうじんいけ見物に出掛でかけた。道端みちばたの熊笹くまざさが雨に濡ぬれているのが目に沁しみるほど美うつくしい。どこかの大おおきな庭園ていえんを歩いているような気もする。有名ゆうめいな河童橋かっぱばしは河風かわかぜが寒く、穂高ほたかの山塊さんかいはすっかり雨雲あまぐもに隠されて姿を見せない。この橋の両側りょうがわだけに人間じんかんの香においがするが、そこから六百ろっぴゃく山の麓に沿そうて二十にじゅう余町の道の両側りょうがわにはさまざまな喬木きょうぼくが林立りんりつしている、それが南国なんこく生れの自分じぶんにはみんな眼新あたらしいものばかりのような気がする。樹名じゅめいを書いた札のついているのは有難ありがたいがなかなか一度ひとたび見たくらいでは覚おぼえられそうもない。

池の方へ路の分わかれる処に茶店ちゃみせがある。そこで茶をのんで餅をつまんでいたら、同宿どうしゅくの若わかい夫婦ふうふ連ずれがあとからはいって来た。腰を下おろしたと思おもうと御主人みうしが「や、しまった、財布さいふを忘わすれた」といって懐ふところを撫なでまわしている。失礼しつれいではあったが自分じぶんたちの盆の餅をすすめて、そうしてこの人たちから新築しんちくのホテルに関かんする噂を聞いた。この若く美うつくしい夫人ふじんがスクリーンで見みる某映画えいが女優じょゆうと区別くべつの出来しゅったいないほどに実げによく似ていた。

橋を渡わたる頃はまた雨になって河風かわかぜに傘を取られそうであった。大おおきな丸太まるたを針金はりがねで縛しばり合あわせた仮橋かりばしが生ま生ましく新あたらしいのを見みると、前の橋が出水いずみに流されてそのあとへ新造しんぞうしたばかりであろうかと思われた。雨と一緒いっしょに横よこしぶきに吹ふきつける河霧がふるえ上あがるように寒かった。

河向むかいから池までの熊笹くまざさを切開せっかいいた路はぐしょぐしょに水浸みずびたしになって歩きにくかった。学校がっこうの先生せんせいらしい一行ひとくだりがあとから自分じぶんらを追越して行った。

明神池しんちは自分じぶんには別に珍めずらしい印象いんしょうを与えなかった。何となく人工じんこう的な感かんじのする点がこの池を有名ゆうめいにしているかと思われた。しかし、紅葉もみじの季節きせつに見直みなおすといいかもしれない。同じ道みちを引返ひきかえして帝国ていこくホテルで昼飯ちゅうはんを食ってから、今度こんどは田代池たしろいけというのを見に行った。赤あかさびの浮いた水には妙に無気味きみな感覚かんかくがあって、どこかの草くさむらから錦の色をした蛇でも這出はいだしそうな気がした。こうしたじめじめした池沼ちしょうのほとりの雰囲気ふんいきはいつも自分じぶんの頭のどこかに幼おさない頃から巣くっている色々な御伽噺おとぎばなし中の妖精ようせいを思おもい出だすようである。

大正たいしょう池の畔ほとりに出て草臥くたびれを休めていると池の中ちゅうから絶えずガラガラガラ何かの機械きかいの歯車はぐるまの轢音れきおんらしいものが聞こえて来くる。見みると池の真中まなかに土手どてのようなものが突出つきだしていて、その端の小屋しょうおくのようなものの中で何かしら機械きかいが運転うんてんしているらしい。宿へ帰って聞いてみると、県から水電すいでん会社かいしゃへの課税かぜいのような意味いみで大正たいしょう池の泥浚さらえをやらせているのだという。ほんの申訳もうしわけにやっているのだという。なるほどあのガラガラの音ぐらいでは三百さんびゃく六十ろくじゅう五日浚ってみたところで梓川あずさがわがただの一と雨に押し流してくる砂泥さでいをすくい上あげるにも足りないのではないかという気がするのであった。とにかくこの浚渫しゅんせつ機械きかいの小屋しょうおくと土手どてはおそらくこの美うつくしい上高地かみこうちの絵の上にとまった蠅か蜘蛛くものような気のするものである。

夜に入って雨がまた強くなって梓川あずさがわの水音みずおとも耳立って強くなった。突然とつぜん強風きょうふうが吹起こって家を揺るがし雨戸あまどを震ふるわすかと思おもうと、それが急にまるで嘘をいったように止んでただ沛然はいぜんたる雨声うせいが耳に沁しみる。また五分くらいすると不意ふいに思おもい出でしたように一陣いちじんの風がどうっと吹きつけてしばらくは家鳴やなり震動しんどうする、またぴたりと止やむ、するとまた雨の音と川瀬かわせのせせらぎとが新あらたな感覚かんかくをもって枕に迫って来くる。

高だかい上空じょうくうを吹いている烈風れっぷうが峰に当って渦流かりゅうをつくる。その渦が時々風陰かざかげのこの谷底たにそこに舞い降りて来くるので、その度たびごとにこうした突風とっぷうが屋を揺ゆるがすのではないかと思われた。

夜が明あけても雨は小止こやみもなく降り続いた。松本まつもとまでの車を雇って山を下りて来くると、島々の辺から雨が止やみ、汽車きしゃが甲州こうしゅう路に入いると雲が破やぶれて日光にっこうが降りそそいだ。

雨の上高地かみこうちはしかしやはり美しかった。

中なかの湯ゆあたりから谷が迫って景色けいしょくが峻けわしく荒涼こうりょうな鬼気ききを帯おびて来くる。それが上高地かみこうちへ来くると実げに突然とつぜんになごやかな平和へいわな景色けいしょくに変化かする。鬼の棲家すみかを過すぎて仙郷せんきょうに入いるような気がして昔の支那しな人の書いた夢のような物語ものがたりを想おもい出だすのである。シー・ピー・スクラインがパミールの岩山いわやまの奥に「幸福こうふくの谷」を発見はっけんした記事きじを読んだときにいわゆる武陵桃源ぶりょうとうげんの昔話むかしばなしも全くの空想くうそうではないと思ったことであったが、その武陵ぶりょう桃源とうげんの手近てじかな一つの標本ひょうほんを自分じぶんは今度こんど雨の上高地かみこうちに見出みだししたようである。

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Where this text comes from

This work is in the public domain — its copyright has expired. The digital text was produced by volunteers at Aozora Bunko (青空文庫), Japan's free digital library, from the printed edition named below.

First published
「登山とスキー」1935(昭和10)年10月
Source edition (底本)
底本:「山の旅 大正・昭和篇」岩波文庫、岩波書店


   2003(平成15)年11月14日第1刷発行

   2007(平成19)年8月6日第5刷発行

底本の親本:「登山とスキー」

   1935(昭和10)年10月

初出:「登山とスキー」

   1935(昭和10)年10月

入力:川山隆

校正:門田裕志

2009年6月21日作成

青空文庫作成ファイル:

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Typed by (入力)
川山隆
Proofread by (校正)
門田裕志

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