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寺田寅彦 Torahiko Terada 1878.11.28〜1935.12.31

ある日の経験

あるひのけいけん

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上野かんつけのの近ちかくに人を尋ねたついでに、帝国ていこく美術びじゅつ院の展覧てんらん会を見に行った。久し振ふりの好い秋日和あきびよりで、澄み切った日光にっこうの中に桜の葉が散っていた。

会場かいじょうの前の道路どうろの真中まなかに大おおきな天幕てんまく張はりが出来しゅったいかかっている。何かの式場しきじょうになるらしい。柱などを巻いた布が黒白こくびゃくのだんだらになっているところを見みると何かしら厳かな儀式ぎしきでもあるように思われる。このようにして人夫にんぷ等が大勢たいせいかかって、やっとそれが出来上がったと思おもう間もなく式が終って、またすぐに取りくずさなければならないであろう。

博覧はくらん会の工事こうじも大分おういた進行しんこうしているようである。これもやはりほんの一時いちじ的の建築けんちくだろうが、使っている材木ざいもくを見みるとなかなか五十ごじゅう年や百年で大きくなったとは思われないような立派りっぱなものがある。なんだか少すこし勿体もったいないような気がする。こんなものを使わなくても、何か鋸屑のこくずでも固かためたようなもので建築けんちく材料ざいりょうを作ってそれで建てたらいいだろうと思おもう。

美術びじゅつ展覧てんらん会に使われている建物たてもんもやはり間まに合あわせである。この辺のものはみんな間に合あわせのものばかりのような気がして、どうも気持きもちが悪わるい。

そういう心持こころもちをいだいて展覧てんらん会場かいじょうへ這入はいった。

日本にぽん画が、とてもゆるゆる見みる事の出来しゅったいないほど沢山たくさんにある。しかしゆるゆる見たいと思おもう絵は容易たやすいに見つかりそうもない。どの絵を見てもどういうものか私は興味きょうみが起らない。どうしても我慢がまんして見て、強しいていいところを捜してやろうという気になれないのである。これらの絵全体ぜんたいから受うける感かんじは、丁度ちょうど近頃ちかごろの少年しょうねん少女しょうじょ向けの絵雑誌ざっしから受うけると全く同じようなものである。帝展ていてんの人気じんきのある所因は事によるとここにあるかもしれないが、私にはどうも工合ぐあいが悪く気持きもちが悪わるい。名高なだかい画家達いえさとのものを見ても、どうも私には面白味おもしろみが分らない。こういう絵を見みるよりも私はうちで複製ふくせいの広重ひろしげか江戸えど名所などころの絵でも一枚一枚見ている方が遥はるかに面白く気持きもちが好いのである。

洋画ようがの方へ行ゆくと少すこし心持こころもちがちがう。ちょっと悪夢あくむからさめたような感かんじもする。尤もっとこの頃ころ自分じぶんで油絵あぶらえのようなものをかいているものだから、色々の人の絵を見みると、絵のがらの好すき嫌きらいとは無関係かんけいな色々のテクニカルな興味きょうみがあるのである。実際じっさいどれを見ても、当あたり前まえな事だが、みんな自分じぶんよりは上手うわてな人ばかりである。しかしその上手うわてな点を「頭」へ矢やつぎ早に受け込んで、そして一々感服ふくする方がとかく主になってしまって、何かしらしみじみと「胸」に滲み込んでくるような感かんじが容易たやすいには起りにくい。

どうもみんな単たんにうまい絵を描えがく事ばかり骨を折っているのではないかという疑うたがいが起って来くる。それならば大概たいげいの絵はそれぞれの意味いみでうまいところがあるという事が自分じぶんのようなものでも分わかる。一体いったい自分じぶんの求もとめているようなしみじみとした絵は、こういう処では始はじめから得られないにきまっているのかもしれない。

おしまいの方の部屋へやの隅に、女おんなの子この小ちいさな像が一枚かかっていた。童女どうじょは黒地くろじに赤あかい縞しまの洋服ようふくを着て、右の手に花を一輪もっている。一目見まみただけで妙な気がした。これはこの会場かいじょうにふさわしくないほど、物静ものしずかな、しんみりとした気持きもちのいい絵であると思った。

この絵には別にこれと云って手てっ取とり早く感心かんしんしなければならないような、一口ひとくちですぐ云ってしまわれるような趣向しゅこうやタッチが、少なくも私には目に立たない。それだけ安易あんいな心持こころもちで自然じねんに額縁がくぶちの中の世界せかいへ這入って行いけるように思おもう。じっと見ていると、何かしら嬉しいような有難ありがたいいような気がして来くる。ほんとうに描いた人の心持こころもちが、見ている自分じぶんの心に滲み込んで来くるように思おもう。

どういう訳だか分らないが、あの右の手の何とも名状めいじょうの出来しゅったいない活きた優雅ゆうがな曲線きょくせんと鮮あざやかに紅あかい一輪の花が絵の全体ぜんたいに一種いっしゅの宗教しゅうきょう的な気分きぶんを与えている。少すこし短くつまった顔の特殊とくしゅなポオズも、少すこしも殊更ことさららしくなくてただ気高けだかいいような好い心持こころもちがするばかりである。何かしら人の子ではなくて何かの菩薩ぼさつのような気がする。

日本人ほんにんとしての自分じぶんにはベラスケズのインファンタ、マリア、マルゲリタよりもこの方ほうがいい。デュラアよりもホルバインよりもこの方ほうがいい。

専門家かどやに云わせると、あるいは右の頬の色が落着かないとか、手が小さ過すぎるとか、色々の批評ひひょうがあるかもしれないが、私にはそんな事は問題もんだいにならない。何かなしにこれが本当ほんとの芸術げいじゅつというものだろうという気がする。

会場かいじょうを出て、再ふたたび天幕てんまく張はりの工事こうじを仰あおぎ見みるながらこんな事を考かんがえた。間に合あわせものばかりのこの竹の台に、あの童女どうじょ像ばかりはどうも間に合あわせでない。時代じだいや流行はやりとは無関係かんけいに永遠えいえんに伝つたえらるべき性質せいしつのものではないだろうか。

谷中やなかから駒込こまごめまでぶらぶら歩いて帰かえる道みちすがら、八百屋やおやの店先みせさきの果物くだものや野菜やさいなどの美うつくしい色が今日はいつもよりは特別とくべつに眼についた。骨董こっとう屋の店先みせさきにある陶器とうきの光沢こうたくにもつい心を引かれて足をとめた。

とある店の棚の上に支那しな製らしい壷のようなものがいくつか並んでいるのをしばらく立止って眺ながめていた。その内の一つを取とり下おろして値段ねだんをきいてみると六円だという。骨董こっとう品というほどでなくても、三越みつこし等の陳列ちんれつ棚で見みる新出しんしゅつ来の品などから比較ひかくして考かんがえてみても、六円というのはおそらく多くの蒐集しゅうしゅう者にとっては安やすいかもしれない。しかし私はなんだか自分じぶんなどの手に触さわるべからざる贅沢ぜいたくなものに触れたような気がしたので、急いでもとの棚へ返した。

その下の棚に青あおい釉薬うわぐすりのかかった、極きわめて粗製そせいらしい壷が二つ三つ塵に埋れてころがっているのを拾い上げて見た。実げに粗末そまつなものではあるが、しかし釉うわぐすりの色が何となく美しく好このもしいので試ためしに値を聞きくと五拾銭だという。それでは一つ貰もらいましょうと云って、財布さいふを取とり出だすために壷を一度ひとたび棚に返そうとする時に、どうした拍子ひょうしか誤ってその壷を取り落した。下には磁器じきの堅がたいものがゴタゴタ並んでいたので、元来がんらい脆もろいこの壷の口の処が少すこしばかり欠けてしまった。私は驚いて「どうもとんだ粗相そそうをしました」と云いうと、主人しゅじんは、「いや、どう致しまして、一体いったいこの置おき所どこも悪わるいものですから」と云った。そして、「このつれならまだいくらでもありますから、どうぞいいのを御持もち下さい」という。

一体いったい私がこの壷を買かう事に決定けっていしてから取り落してこわしたのだから、別に私の方であやまる必要ひつようもなければ、主人しゅじんも黙って破片はへんを渡せばいいのではなかったかと、今になってみると考かんがえられもする。これはどちらが正当せいとうだか私には分らない、とにかくその時は全く恥じ入って、つい無意識いしきにあやまってしまった訳である。

ともかくも代価だいかの五拾銭を払おうとすると、どうしても主人しゅじんが受取ろう云わない。困り入ってどうしたものかと考かんがえながらその解釈かいしゃくを捜さがすような心持こころもちで棚の上を見みると、そこに一つの白釉はくゆうのかかった、少すこし大おおきい花瓶かびんが目についた。これも粗末そまつではあるが、鼠色ねずみいろがかった白釉はくゆうの肌合はだあいも、鈍重どんじゅうな下膨しもぶくれの輪郭りんかくも、何となく落ちついていい気持きもちがするので、試ためしに代価だいかを聞いてみると七拾銭だという。それを買かう事にして、そして前の欠けた壷と二つを持って帰ろうとするが、主人しゅじんはそれでも承知しょうちしてくれない。もしその欠けたのの特別とくべつな色合いろあいでも何か調しらべる必要ひつようがあるのなら持って行ってもいいが、もう一つ欠けないのもぜひ持って行けというのである。

それでは私が困こまるからと云ってみたが、「いえ、とんでもない事です」と云ってなかなか聞き入れてはくれない。

結局けっきょく私は白じろい花瓶かびんと、こわれない別の青あおい壷との二点をさげておめおめと帰って来た。

主人しゅじんは二つの品を丁寧ていねいに新聞しんぶん紙で包んでくれて、そしてその安全あんぜんな持もち方までちゃんと教えてくれた。私はすっかり弱ってしまって、丁度ちょうど悪戯いたずらをしてつかまった子供こどものような意気いき地のない心持こころもちになって、主人しゅじんの云いうがままになって引ひき下さがる外はなかったのである。

帰かえる途中とちゅうで何だか少すこし落着らくじゃくかない妙な気がした。軽かるい負債ふさいでも背負わされたような気がしてあまり愉快ゆかいでなかった。一体いったいこれはどうすれば善かったのだろう。代価だいかを強しいて取らせて破片はへんだけを持って帰かえるのもあまりにぎごちない窮屈きゅうくつな気がする。二個分の代価だいかを払って、破片はへんと、そうして破われないもう一つをさげて来くるのも何だか殊更ことさらで、そこに説明せつめいの出来しゅったいない無理むりがあるように思われる。それかと云って自分じぶんのした事はどうしても正当せいとうではない。

仮かりにこれが五拾銭でなくて五拾円まどか五百ごひゃく円の壷であったら、どうだろうという事を、いささか臆病おくびょうな心持こころもちで考かんがえてみた。理窟りくつは同おんなじでも、実際じっさいは少すこしちがうような気がした。この方ほうだと却かえって事柄ことがらがずっと簡単かんたんにはこびそうな気もした。正当せいとう不正ふせい当の問題もんだいが、他の利害りがいの問題もんだいのために蝕おかされて変って来そうに思われたのである。この現在げんざいの場合ばあいはどうでもいいとしたところで、逆に吾々が何か重大じゅうだいな問題もんだいにぶつかった場合ばあいに、それを、本質的しつてきにそれと同様どうような、しかし通例つうれい些細ささいなと考かんがえられる問題もんだいに「翻訳ほんやく」して考かんがえてみなければならない場合ばあいも随分ずいぶありはしまいか、そうしてみて始はじめて問題もんだいが正当せいとうな光に照らされるような事がありはしまいか。こんな事も思ってみたのである。

ドイツの下宿屋やどやで、室に備そなえ付つけの洗面せんめん鉢を過あやまってこわしたある日本人ほんにんが、主婦しゅふに対して色々詫言わびごとを云いうのを、主婦しゅふの方では極きわめて機嫌きげんよく「いや何でもありません、ビッテ、シェーン」を繰返くりかえしていた。そうしてその人が永ながい滞在たいざいの後に、なつかしい想いを残のこしてその下宿げしゅくを去さる日になって、主婦しゅふの方から差出さしでした勘定書さだめがきを見みると、毀こわれた洗面せんめん鉢の代価だいかがちゃんとついていたという話がある。

またある留学生がくせいの仲間なかまがベルリンのTという料理りょうり屋で食事しょくじをした時に、いつもするように一同いちどうで連名れんめいの絵葉書えはがきをかいた。その時誰かの万年まんねん筆のインキがほんの少すこしばかり卓布を汚したのに対して、オーバーケルナーが五マルクとかの賠償ばいしょう金を請求せいきゅうした。血気けっきな連中れんじゅうのうちの一人ひとりの江戸えどっ子こが、「それじゃインキがどれだけ多くついてもやはり同おんなじ事か」と聞いた。そうだという返答へんとうをたしかめてから後に悠々と卓布一杯いっぱいに散々楽書がくしょをし散ちらして、そうして苦にがい顔をしているオーバーを残のこしてゆるゆる引上ひきあげたという話もある。

ドイツだとこれほど簡単かんたんに数字すうじ的に始末しまつの出来できる事が、我わが駒込こまごめ辺ではそう簡単かんたんでないようである。

どちらがいいか悪わるいか、それは分らない。ある解釈かいしゃくに従えば、私の偶然ぐうぜんに関係かんけいした店の主人しゅじんの仕打しうちちうや、それに対たいする私のした事や考かんがえた事なんかは、すべてがただ小ちいさな愚おろかな、時代じだいおくれの「虚栄きょえい心」の変種へんしゅかもしれない。

しかしともかくも私はちょっと意外いがいな事に出逢ったような気がしてならなかった。而しかしてこういったような商人あきゅうどがそこらに居おるという事が何だかちょっと愉快ゆかいなことのようにさえ思われたのである。

宅うちへ帰って昼飯ちゅうはんを食くいながら、今日きょうのアドヴェンチュアーを家人かじんに話はなしたが、誰も一向いっこう何とも云ってくれなかった。

庭に下りて咲さきおくれた金蓮花れんげとコスモスを摘つんだ。それをさっき買った来た白釉はくゆうの瓶に投げ込んで眺ながめているといい気持きもちになった。これを眺ながめているうちにも、また展覧てんらん会の童女どうじょの像を思おもい出でした。あれは実げに美うつくしい。何とも云われないしみじみと美うつくしい絵である。あれに比くらべると外の多くの騒さわがしい絵は、云わば腹のへっているのに無闇むやみに大おおきな声を出だしているような気のするものである。真に美うつくしいものは大人しく黙っている。しかしそれはいつまでも見た人の心に美うつくしい永遠えいえんの響を留とどめる。そしてその余韻よいんは、その人の生活せいかつをいくぶんでも浄化じょうかするだけの力をもっている。こういう美うつくしいものを見たときと見なかった時とで、その後に来くる吾人ごじんの経験けいけんには何どちらのちがった反響はんきょうがない訳にはゆかない。

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First published
「明星」1921(大正10)年12月
Source edition (底本)
底本:「寺田寅彦全集 第八巻」岩波書店


   1997(平成9)年7月7日発行

入力:Nana ohbe

校正:浅原庸子

2004年12月13日作成

2005年10月29日修正

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Typed by (入力)
Nana ohbe
Proofread by (校正)
浅原庸子

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