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寺田寅彦 Torahiko Terada 1878.11.28〜1935.12.31

浅草紙

あさくさがみ

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十二とうに月始つきはじめのある日、珍しくよく晴はれて、そして風のちっともない午前ごぜんに、私は病床びょうしょうから這はい出して縁側えんがわで日向ひなたぼっこをしていた。都会とかいでは滅多めったに見られぬ強烈きょうれつな日光にっこうがじかに顔に照てりつけるのが少すこし痛いたいほどであった。そこに干ぼしてある蒲団ふとんからはぽかぽかと暖あたたかい陽炎かげろうが立っているようであった。湿った庭の土からは、かすかに白じろい霧が立って、それがわずかな気紛きまぐれな風の戦そよぎにあおられて小ちいさな渦を巻いたりしていた。子供こども等は皆学校がっこうへ行っているし、他の家族かぞくもどこで何をしているのか少すこしの音もしなかった。実げに静しずかな穏おだやかな朝であった。

私は無我むが無心むしんでぼんやりしていた。ただ身体しんたい中の毛穴けあなから暖あたたかい日光にっこうを吸い込んで、それがこのしなびた肉体にくたいの中に滲み込んで行ゆくような心持こころもちをかすかに自覚じかくしているだけであった。

ふと気がついて見みると私のすぐ眼の前の縁側えんがわの端に一枚の浅草紙あさくさがみが落おちている。それはまだ新あたらしい、ちっとも汚けがれていないのであった。私はほとんど無意識いしきにそれを取とり上あげて見ているうちに、その紙の上に現あらわれている色々の斑点はんてんが眼に付き出した。

紙の色は鈍にぶい鼠色ねずみいろで、ちょうど子供こども等の手工しゅこうに使つかう粘土ねばつちのような色をしている。片側かたがわは滑なめらかであるが、裏側うらがわはずいぶんざらざらして荒筵あらむしろのような縞目しまめが目立って見まみえる。しかし日光にっこうに透すかして見みるとこれとはまた独立どくりつな、もっと細かく規則きそく正ただしい簾すだれのような縞目しまめが見まみえる。この縞はたぶん紙を漉すく時に繊維せんいを沈着ちんちゃくさせる簾の痕跡こんせきであろうが、裏側うらがわの荒あらい縞は何だか分らなかった。

指頭しとう大の穴が三つばかり明あかるいて、その周囲しゅういから喰はみ出した繊維がその穴を塞ふさごうとして手を延ばしていた。

そんな事はどうでもよいが、私の眼についたのは、この灰色はいいろの四十しじゅう平方寸ほうすんばかりの面積めんせきの上に不規則きそくに散在さんざいしているさまざまの斑点はんてんであった。

先まず一番いちばんに気の付つくのは赤や青や紫や美うつくしい色彩しきさいを帯びた斑点はんてんである。大おおきいのでせいぜい二、三分ぶ四方しかた、小ちいさいのは虫ちゅう眼鏡がんきょうででも見なければならないような色紙しきしの片が漉き込まれているのである。それがただ一様いちような色紙しきしではなくて、よく見みるとその上には色々の規則きそく正ただしい模様もようや縞や点線てんせんが現あらわれている。よくよく見ているとその中のある物は状袋じょうぶくろのたばを束たばねてある帯紙おびがみらしかった。またある物は巻煙草たばこの朝日あさひの包紙つつみがみの一片らしかった。マッチのペーパーや広告こうこくの散ちらし紙や、女おんなの子このおもちゃにするおすべ紙や、あらゆるそう云った色刷いろずりのどれかを想おもい出でさせるような片々が見出みだしされて来た。微細びさいな断片だんぺんが想像そうぞうの力で補充ほじゅうされて頭の中には色々な大おおきな色彩しきさいの模様もようが現あらわれて来た。

普通ふつうの白地しろじに黒インキで印刷いんさつした文字もんじもあった。大概たいげいやっと一字、せいぜいで二字くらいしか読めない。それを拾って読んでみると例たとえば「一同いちどう」「円」などはいいが「盪」などという妙な文字もんじも現あらわれている。それが何かの意味いみの深ぶかい謎ででもあるような気がするのであった。「蛉ぼかな」という新聞しんぶんの俳句はいく欄の一片らしいのが見付みつけかった時は少すこしおかしくなって来てつい独ひとりで笑った。

どうしてこんな小片おがたが、よくこなれた繊維せんいの中で崩れずに形を保って来たものか。この紙の製造せいぞう方法ほうほうを知らない私には分らない疑問ぎもんであった。あるいはこれらの部分ぶぶんだけ油のようなものが濃く浸み込んでいたためにとろけないで残って来たのではないかと思ったりした。

紙片しへんの外にまださまざまの物の破片はへんがくっついていた。木綿糸めんしの結むすび玉や、毛髪もうはつや動物どうぶつの毛らしいものや、ボール紙のかけらや、鉛筆えんぴつの削けずり屑くず、マッチ箱の破片はへん、こんなものは容易たやすいに認したためられるが、中にはどうしても来歴らいれきの分らない不思議ふしぎな物件ぶっけんの断片だんぺんがあった。それからある植物しょくぶつの枯かれた外皮がいひと思われるのがあって、その植物しょくぶつが何だということがどうしても思い出せなかったりした。

これらの小片おがたは動植物どうしょくぶつ界のものばかりでなく鉱物界ぶっかいからのものもあった。斜ななめに日光にっこうにすかして見みると、雲母うんもの小片おがたが銀色ぎんいろの鱗うろこのようにきらきら光っていた。

だんだん見て行ゆくうちにこの沢山だくさんな物のかけらの歴史れきしがかなりに面白おもしろいもののように思われて来た。何どの関係かんけいもない色々の工場こうばで製造せいぞうされた種々の物品ぶっぴんがさまざまの道を通ってある家の紙屑かみくず籠で一度ひとたび集合しゅうごうした後に、また他の家から来た屑と混合こんごうして製紙せいし場の槽ふねから流ながれ出だすまでの径路けいろに、どれほどの複雑ふくざつな世相せそうが纏綿てんめんしていたか、こう一枚の浅草紙そうしになってしまった今では再ふたたびそれをたどって見みるようはなかった。私はただ漠然ばくぜんと日常にちじょうの世界せかいに張り渡された因果いんがの網目あみめの限かぎりもない複雑ふくざつさを思おもい浮うかべるに過すぎなかった。

あらゆる方面ほうめんから来くる材料ざいりょうが一つの釜かまで混ぜられ、こなされて、それからまた新あたらしい一つのものが生あれるという過程かていは、人間じんかんの精神界しんかいの製作品さくひんにもそれに類似るいじした過程かていのある事を聯想れんそうさせない訳にはゆかなかった。

そのような聯想れんそうから私はふとエマーソンが「シェークスピア論」の冒頭ぼうとうに書いてある言葉ことばを思いだした。「価値かちのある独創オリジナリティは他人たにんに似ないという事ではない。」「最大さいだいの天才てんさいは最もっとも負債ふさいの多おおい人である。」こんな意味いみの言詞げんしが思おもい出でされた。

それからまたある盲目めくらの学者がくしゃがモンテーニュの研究けんきゅうをするために採った綿密めんみつな調査ちょうさの方法ほうほうを思おもい出でした。モンテーニュの論文ろんぶんをことごとく点字てんじに写し取った中ちゅうから、あらゆる思想しそうや、警句けいくや、特徴とくちょうや、挿話そうわを書かき抜ぬき、分類ぶんるいし、整理せいりした後に、さらにこの著者ちょしゃが読んだだろうと思われるあらゆる書物しょもつを読んだり読んでもらったりして、その中に見出される典拠てんきょや類型るいけいを拾ひろい出だすというのである。この盲人もうじんの根気こんきと熱心ねっしんに感心かんしんすると同時どうじに、その仕事しごとがどことなく私が今紙面しめんの斑点はんてんを捜してはその出所でどころを詮索せんさくした事に似通にかよっているような気もした。どんな偉大いだいな作家さっかの傑作けっさくでも――むしろそういう人の作ほど豊富とよとみな文献ぶんけん上の材料ざいりょうが混入こんにゅうしているのは当然とうぜんな事であった。それを詮索せんさくするのは興味きょうみもあり有益ゆうえきな事でもあるが、それは作と作家さっかの価値かちを否定ひていする材料ざいりょうにはならなかった。要は資料しりょうがどれだけよくこなされているか、不浄ふじょうなものがどれだけ洗われているかにあった。

作中さくちゅうの典拠てんきょを指摘してきする事が批評ひひょう家の知識ちしきの範囲はんいを示しめすために、第三者さんしゃにとって色々の意味いみで興味きょうみのある場合ばあいもかなりにある。該博がいはくな批評ひひょう家の評註ひょうちゅうは実際じっさい文化ぶんか史思想しそう史の一片として学問がくもん的の価値かちがあるが、そうでない場合ばあいには批評ひひょうされる作家さっかも、読者どくしゃも、従って批評ひひょう者も結局けっきょく迷惑めいわくする場合ばあいが多おおいように思われる。そういう批評ひひょう家のために一人ひとりの作家さっかが色々互たがいに矛盾むじゅんしたイズムの代表だいひょう者となって現あらわれたりするのであろう。

美術びじゅつ上の作品さくひんについても同様どうような場合ばあいがしばしば起おこる。例たとえば文展ぶんてんや帝展ていてんでもそんな事があったような気がする。それにつけて私は、ラスキンが「剽窃ひょうせつ」の問題もんだいについて論じてあった事を思い出して、も一度ひとたびそれを読んでみた。その最後さいごの項にはこんな事が書いてあった。

「一般いっぱんに剽窃プラジアリズムについて云々する場合ばあいに忘わすれてならないのは、感覚かんかくと情緒じょうしょを有ゆうする限かぎりすべての人は絶えず他人たにんから補助ほじょを受うけているという事である。人々はその出会であうすべての人から教えられ、その途上とじょうに落おちているあらゆる物によって富まされる。最大さいだいなる人は最もっともしばしば授さずけられた人である。そしてすべての人心じんしんの所得しょとくをその真の源まで追跡ついせきする事が出来しゅったいたら、この世界せかいがいちばん多くの御蔭おかげを蒙っているのは、最もっとも独創どくそう力のある人々であった事を発見はっけんするだろう。またそういう人々がその生活せいかつの日ごとに、人類じんるいから彼等が負おう負債ふさいを増ましながら、同時どうじに同胞どうほうに贈おくるべきものを増大たいして行った事が分わかるだろう。何かの思想しそうあるいは何かの発明はつめいの起源きげんを捜そうとする労力ろうりょくは、太陽たいようの下に新しき物なしというあっけない結論けつろんに終おわるに極きまっている。そうかと云って本当ほんとに偉大いだいなものが全くの借かり物ものであるという事もありようはない。それで何でも人からくれるものが善いいものであれば何もおせっかいな詮議せんぎなどはしないで単純たんじゅんにそれを貰って、直接ちょくせつくれたその人に御礼を云いうのが、通例つうれい最もっとも賢かしこい人であり、いつでも最もっとも幸福こうふくな人である。」

この文辞ぶんじの間にはラスキンの癇癪かんしゃくから出た皮肉ひにくも交じってはいるが、ともかくもある意味いみではやはり思想しそう上の浅草紙そうしの弁護べんごのようにも思われる。

エマーソンとラスキンの言葉ことばを加えて二で割って、もう一遍いっぺんこれを現在げんざいのある過激かげきな思想しそうで割われるとどうなるだろう。これは割り切れないかもしれない。もし割り切れたら、その答はどうなるだろう。あらゆる思想しそう上の偉人いじんは結局けっきょく最もっとも意気いき地のない人間じんかんであったという事にでもなるだろうか。

魔術師じゅつしでない限かぎり、何もない真空しんくうからたとえ一片の浅草紙そうしでも創造そうぞうする事は出来そうに思われない。しかし紙の材料ざいりょうをもっと精選せいせんし、もっとよくこなし、もういっそうよく洗濯せんたくして、純白じゅんぱくな平滑ひらなめな、光沢こうたくがあって堅実けんじつな紙に仕上しあげる事は出来できるはずである。マッチのペーパーや活字かつじの断片だんぺんがそのままに眼につくうちはまだ改良かいりょうの余地よちはある。

ラスキンをほうり出して、浅草紙そうしをまた膝の上へ置いたまま、うとうとしていた私の耳へ午砲ごほうの音が響いて来た。私は飯を食くうためにこのような空想くうそうを中止ちゅうししなければならないのであった。

(大正たいしょう十年一としかず月『東京とうきょう日日ひにち新聞しんぶん』)

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First published
「東京日日新聞」1921(大正10)年1月
Source edition (底本)
底本:「寺田寅彦全集 第三巻」岩波書店


   1997(平成9)年2月5日発行

入力:Nana ohbe

校正:noriko saito

2004年8月13日作成

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Typed by (入力)
Nana ohbe
Proofread by (校正)
noriko saito

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