Nihoner

寺田寅彦 Torahiko Terada 1878.11.28〜1935.12.31

あひると猿

あひるとさる

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去年こぞの夏信州しんしゅう沓掛くつかけ駅に近い湯川ゆかわの上流じょうりゅうに沿そうた谷たにあいの星野温泉ほしのおんせんに前後ぜんご二回合あわせて二週間しゅうかんばかりを全く日常にちじょう生活せいかつの煩わずらいから免れて閑静かんせいに暮くらしたのが、健康けんこうにも精神せいしんにも目に見えてよい効果こうかがあったように思われるので、ことしの夏も奮発ふんぱつして出でかけて行った。

去年こぞと同おんなじ家のベランダに出て、軒にかぶさる厚朴ほおのきの広葉こうようを見上げ、屋前に広ひろがる池の静しずかな水面すいめんを見おろしたときに、去年こぞの夏の記憶きおくがほんの二三にさん日前にちぜんのことであったようによみがえって来た。十か月げつ以上いじょうの月日がっぴがその間に経過けいかしたとはどうしても思われなかった。信州しんしゅうにおける自分じぶんというものが、東京とうきょうの自分じぶんのほかにもう一つあって、それがこの一年ひととせの間眠かんみんっていて、それが今ひょっくり目をさましたのだというような気がするのであった。

このように、すべてのものが去年こぞとそっくりそのままのようであるが、しばらく見ているとまた少すこしずついろいろの相違そういが目について来くるのであった。たとえば池のみぎわから水面すいめんにおおいかぶさるように茂った見知らぬ木のあることは知っていたが、それに去年こぞは見なかった珍めずらしい十字形じけいの白じろい花が咲いている。それが日比谷公園ひびやこうえんの一角いっかくに、英国えいこくより寄贈きそうされたものだという説明せつめいの札をつけて植うえてある「花水木はなみずき」というのと少なくも花だけはよく似ているようである。しかし植物しょくぶつ図鑑ずかんで捜してみるとこれは「やまぼうし」一名いちめい「やまぐわ」(Cornus Kousa, Buerg.)というものに相当そうとうするらしい。

とにかく、わずかな季節きせつの差違さいで、去年こぞはなかったものが、今突然とつぜん目の前に出現しゅつげんしたように思われるのであった。不注意ちゅういなわれわれ素人しろうとには花のない見知らぬ樹木じゅもくはだいたい針葉しんよう樹と扁葉樹へんようじゅとの二色ふたいろぐらいか、せいぜいで十種二十にじゅう種にしか区別くべつができないのに、花が咲いて見みるとそこに何か新あたらしい別物べつものが生うまれたかのように感かんじるものらしい。無理むりな類推るいすいではあるが人間じんかんの個性こせいも、やっぱり何かしらひと花はな咲かせてみないと充分じゅうぶんにその存在そんざいがはっきりしない、あれと同おんなじだというような気がするのである。

去年こぞの七月ふみつきにはあんなにたくさんに池のまわりに遊んでいた鶺鴒せきれいがことしの七月ふみつきはさっぱり見えない。そのかわりに去年こぞはたった一匹しかいなかったあひるがことしは十三羽みわに増殖ぞうしょくしている。鴨かものような羽色はいろをしたひとつがいのほかに、純白じゅんぱくの雌めすが一羽、それからその「白」の孵化ふかしたひなが十羽である。ひなは七月ふみつきに行った時はまだ黄色い綿で作ったおもちゃのような格好かっこうで、羽根ばねなどもほんの琴の爪つめぐらいの大きさの、言ゆわば形ばかりのものであった。それでも時々延び上がって一人前いちにんまえらしく羽はばたきのまね事ごとをするのが妙であった。麦笛むぎぶえを吹ふくような声でピーピーと鳴き立ててはベランダの前へ寄って来て、飯の余あまりやせんべいの欠けらをねだるのである。それからまた池にはいったと思おもうとせわしなく水中すいちゅうにもぐり込んでは底の泥どろをくちばしでせせり歩あるく。その水中すいちゅうを泳およぐ格好かっこうがなかなか滑稽こっけいで愛敬あいきょうがあり到底とうてい水上すいじょうでは見られぬ異形いぎょうの小妖精しょうようせいの姿である。鳥の先祖せんぞは爬虫はちゅうだそうであるが、なるほどどこか鰐わになどの水中すいちゅうを泳およぐ姿に似たところがあるようである。もっとも親鳥おやどりがこんな格好かっこうをして水中すいちゅうを泳およぎ回まわることは、かつて見たことがない。この点ではかえって子供こどものほうが親よりも多芸たげいであり有能ゆうのうであるとも言われる。親鳥おやどりだと、単たんにちょっと逆立さかだちをしてしっぽを天に朝ちょうしさえすればくちばしが自然じねんに池底ちていに届とどくのであるが、ひな鳥どりはこうして全身ぜんしんを没してもぐらないと目的もくてきを達たっしないから、その自然じねんの要求ようきゅうからこうした芸当げいとうをするのであろうが、それにしても、水中すいちゅうにもぐっている時間じかんを測ってみるとやはりひな鳥どりのほうが著しく長ながい、大概たいげい七秒か八秒ほどの間もぐって水底すいていを泳ぎ回っているのに、親鳥おやどりのほうはせいぜい三四さんし秒ぐらいでもう頭を上あげる。これはたしかにひなと親鳥おやどりとではその生理せいり的機能きのうにそれだけの差があることを意味いみするのではないかと思われる。

鴨羽かもはの雌雄しゆう夫婦ふうふはおしどり式にいつも互たがいに一メートル以内いないぐらいの間隔かんかくを保って遊弋ゆうよくしている。一方いっぽうではまた白の母鳥ははどりと十羽のひなとが別の一群いちぐんを形づくって移動いどうしている。そうしてこの二群の間には常に若干じゃっかんの「尊敬そんけいの間隔かんかく」が厳守げんしゅせられているかのように見えていた。ところがある日その神聖しんせいな規律きりつを根底こんていから破棄はきするような椿事ちんじの起こったのを偶然ぐうぜんな機会きかいで目撃もくげきすることができた。いつものように夫婦ふうふ仲なかよく並んで泳いでいたひとつがいの雄鳥おんどりのほうが、実げにはなはだ突然とつぜんにけたたましい羽音はおとを立てて水面すいめんを走はしり出でるしたと思おもうとやがて水中すいちゅうに全身ぜんしんを没してもぐり込んだ。そうしてまっしぐらに水中すいちゅうをおそらく三メートル以上いじょうも突進とっしんして行って、静しずかに浮かんでいる白の親鳥おやどりのそばに浮き上がったかと思おもうと、いきなりその首筋くびすじに食いついて、この弱々しい小柄こずかの母鳥ははどりのからだを水中すいちゅうに押し沈めた。驚いて見ていると、この暴君ぼうくんはまもなくこの哀あわれな俘虜ふりょを釈放しゃくほうして、そうしてあたかも何事なにごとも起こらなかったように悠々ゆうゆうとその固有こゆうの雌鳥めんどりの一メートル以内いないの領域りょういきに泳ぎついて行った。善良ぜんりょうなるその妻もまたあたかもこの世よの中なかに何事なにごとも起こらなかったかのように平静へいせいな態度たいどでこの不倫ふりんの夫を迎むかえたのであった。一方いっぽうではまた、突然とつぜんの暴行ぼうこうの後に釈放しゃくほうされた白じろい母鳥ははどりも、ほんのちょっとばかり取り乱した羽毛うもうをくちばしでかいつくろって、心ばかりの身みじまいをしただけで、もう何事なにごともなかったように、これも瞬間しゅんかんの驚おどろきから回復かいふくしたらしい十羽のひなを引率いんそつしてしずしずと池の反対はんたいの側へ泳いで行ゆくのであった。離婚りこん問題もんだいも慰藉料いしゃりょう問題もんだいも鳥の世界せかいには起こり得ないのである。

自分じぶんの到着とうちゃく前には雄が二羽いたそうである。その中の一羽がむやみに暴戻ぼうれいで他の一羽を虐待ぎゃくたいする。そのたびに今もいる鴨羽かもはの雌めすは人間じんかんで言ゆわば仲を取とりなし顔とでもいったような様子ようすでそば近ちかく寄って行って、いつもとは少すこしちがった特殊とくしゅな低ひくい鳴なき声ごえを発していたそうであったが、そのうちにある日突然とつぜんその暴君ぼうくんの雄鳥おんどりの姿が池では見られなくなったそうである。たぶん宿の廚くりやの料理りょうり人が引致いんちして連ずれて行ったものらしく、ともかくもちょうどその晩宿の本館ほんかんは一団いちだんの軍人いくさびと客でたいそうにぎやかであったそうである。そうしてそのときに池に残された弱虫よわむしのほうの雄が、今ではこの池の王者おうじゃとなり暴君ぼうくんとなりドンファンとなっているのである。

七月末つきずえに一度ひとたび帰京ききょうしてちょうど二週間しゅうかんたって再ふたたび行って見て驚いたのはあひるのひなの生長せいちょうの早はやいことであった。あの黄色いうぶ毛げはいつのまにか消えうせて、もうそろそろ一人前いちにんまえの鴨羽に近い色彩しきさいの発現はつげんが見まみえる。小ちいさなブーメラング形の翼の胚芽はいがの代がわりにもう日本にぽん語で羽根ばねと名のつけられる程度ていどのものが発生はっせいしている。しかしまだ雌雄しゆうの区別くべつが素人目しろうとめにはどうも判然はんぜんとしない。よく見みるとしっぽに近い背面はいめんの羽色はいろに濃こい黒くろみがかった縞しまの見まみえるのが雄らしく思われるだけである。あひるの場合ばあいでもやはりいわゆる年としごろにならないと、雌雄しゆうの差による内分泌ぶんぴの分化ぶんかが起こらないために、その性的せいてき差別さべつに相当そうとうする外貌上がいぼうじょうの区別くべつが判然はんぜんと分化ぶんかしないものと見まみえる。それだのに体量たいりょうだけはわずかの間に莫大ばくだいな増加ぞうかを見せて、今では白の母鳥ははどりのほうがかえってひなの中の大柄おうがらなのよりはずっと小さく見まみえるくらいであった。一方いっぽうで例のドンファンの雄鳥おんどりはと見みるとなんとなく羽色はいろがやつれたようで、首のまわりのあの美うつくしい黒ぐろい輪も所まだらにはげちょろけているのであった。なんだか急に年を取ったように見まみえる。こうした変化へんかがたった二週間しゅうかんばかりの間に起こったのである。浦島うらしまの物語ものがたりの小ちいさなひな形がたのようなものかもしれない。

植物しょくぶつの世界せかいにも去年こぞと比くらべて著しく相違そういが見えた。何よりもことしは時候じこうが著しくおくれているらしく思われた。たとえば去年こぞは八月半つきなかばにたくさん咲いていた釣舟草つりふねそうがことしの同じころにはいくらも見つからなかった。そうして九月上旬じょうじゅんにもう一度ひとたび行ったときに、温泉おんせん前の渓流けいりゅうの向むこう側がわの林間りんかん軌道きどうを歩いていたらそこの道みちばたにこの花はながたくさん咲き乱れているのを発見はっけんした。

星野ほしの滞在たいざい中に一日ついたち小諸城趾こもろじょうしを見物けんぶつに行った。城の大手おうて門を見込んでちょっとした坂を下って行ゆくのであるが、こうした地形じぎょうに拠よった城は存外ぞんがい珍めずらしいのではないかと思おもう。

藤村庵とうそんあんというのがあって、そこには藤村とうそん氏の筆跡ひっせきが壁に掛け並べてあったり、藤村とうそん文献ぶんけん目録もくろくなども備えてある。現げんに生きて活動かつどうしている文人ふみとにゆかりのある家をこういうふうにしてあたかも古人こじんの遺跡いせきのように仕立じたててあるのもやはりちょっと珍しいような気がする。

天守てんしゅ台跡に上っているとどこかでからすの鳴いているのが「アベバ、アベバ」と聞きこえる。こういうからすの声もめったに聞いたことがないような気がした。石崖いしがけの上の端近ちかく、一高いっこうの学生がくせいが一人ひとりあぐらをかいて上着うわぎを頭からすっぽりかぶって暑あつい日ひざしをよけながら岩波いわなみ文庫ぶんこらしいものを読みふけっている。おそらく「千曲川ちくまがわのスケッチ」らしい。もう一度ひとたびああいう年としごろになってみたいといったような気もするのであった。

園内えんないの渓谷けいこくに渡した釣つり橋を渡って行ゆくとき向こうから来た浴衣姿ゆかたすがたの青年せいねんの片手かたでにさげていたのも、どうもやはり「千曲川ちくまがわのスケッチ」らしい。絵日傘えひがさをさした田舎いなかくさいドイツ人夫婦ふうふが恐ろしくおおぜいの子供こどもをつれて谷を見おろしていた。

動物どうぶつ園がある。熊くまにせんべいを買って口の中へ投げ込んでやる。口をいっぱいにあいて下へ落おちたせんべいのありうる可能かのう性などは考かんがえないで悠然ゆうぜんとして次のを待っている姿は罪のないものである。自分じぶんらと並んで見物けんぶつしていた信州しんしゅう人らしいおじさんが連ずれの男にこの熊は「人格じんかく」が高いとかなんとかいうような話をしていた。熊の人格じんかくも珍めずらしい。

猿さるの檻おりはどこの国でもいちばん人気じんきがある。中に一匹腰が抜ぬけて足の立たないのがいて、他の仲間なかまのような活動かつどうを断念だんねんしてたいていいつも小屋しょうおくの屋根ねの上うえでごろごろしている。それがどうかして時ときおり移動いどうしたくなるとひょいと逆立さかだちをして麻痺まひした腰とあと足あしを空中くうちゅう高くさし上げてそうして前足まえあしで自由じゆうに歩いて行ゆく。さすがに猿だけのことはあるのであるが、とにかくこれもオリジナルである。

吸っていた巻まき煙草たばこの吸すいがらを檻の前に捨てたら、そこにしゃがんで見物けんぶつしていた土地とちの人らしいじいさんが、そのまだ火のついているままの吸すいがらをいきなり檻の中へ投げ込んだ。すると、地じべたにすわっていた親猿おやざるが心得こころえ顔に手を出だして、手てのひらを広げたままで吸すいがらを地面じめんにこすりつけて器用きようにその火をもみ消けしてしまった。そうしてその燃もえがらをつまみ上げ、子細しさいらしい手てつきで巻まき紙がみを引ひきやぶって中味なかみの煙草たばこを引ひき出だしたと思うといきなりそれを口中こうちゅうへ運んだ。まさかと思ったがやはりその煙草たばこを味わっているのである。別にうまそうでもないが、しかしまたあわてて吐はき出だすのでもなく、平然へいぜんときわめてあたりまえなような様子ようすをしてすましているのであった。これも実げに珍めずらしい見みものであった。ここの猿はおそらくもうよほど前からこうした「吸すいがら教育きょういく」を受うけているのであろうと想像そうぞうされた。

絶壁ぜっぺきの幕のかなたに八月の日光にっこうに照らされた千曲川ちくまがわ沿岸えんがんの平野ひらのを見おろした景色けいしょくには特有とくゆうな美しさがある。「せみ鳴なくや松のこずえに千曲ちくま川。」こんな句がひとりでにできた。

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First published
「文学」1934(昭和9)年12月
Source edition (底本)
底本:「寺田寅彦随筆集 第五巻」小宮豊隆編、岩波文庫、岩波書店


   1948(昭和23)年11月20日第1刷発行

   1963(昭和38)年6月16日第20刷改版発行

   1993(平成5)年10月15日第61刷発行

入力:田辺浩昭

校正:かとうかおり

1999年11月17日公開

2003年10月22日修正

青空文庫作成ファイル:

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Typed by (入力)
田辺浩昭
Proofread by (校正)
かとうかおり

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