Nihoner

芥川竜之介 Ryunosuke Akutagawa 1892.03.01〜1927.07.24

或日の大石内蔵助

あるひのおおいしくらのすけ

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立てきった障子しょうじにはうららかな日の光がさして、嵯峨さがたる老木おいきの梅の影が、何間なんげんかの明あかるみを、右の端から左の端まで画の如く鮮あざやかに領している。元浅野内匠頭あさのたくみのかみ家来けらい、当時とうじ細川家ほそかわけに御預あずかり中の大石内蔵助良雄おおいしくらのすけよしかつは、その障子そうじを後うしろにして、端然たんぜんと膝を重かさねたまま、さっきから書見しょけんに余念よねんがない。書物しょもつは恐おそらく、細川ほそかわ家の家臣かしんの一人ひとりが借してくれた三国さんこく誌の中の一冊であろう。

九人一つ座敷ざしきにいる中うちで、片岡源五右衛門かたおかげんごえもんは、今いまし方がた厠かわやへ立たった。早水藤左衛門はやみとうざえもんは、下しもの間まへ話はなしに行って、未いまだにここへ帰らない。あとには、吉田忠左衛門よしだちゅうざえもん、原惣右衛門はらそうえもん、間瀬久太夫ませきゅうだゆう、小野寺十内おのでらじゅうない、堀部弥兵衛ほりべやへえ、間喜兵衛はざまきへえの六人が、障子そうじにさしている日影ひかげも忘わすれたように、あるいは書見しょけんに耽ふけったり、あるいは消息しょうそくを認したためたりしている。その六人が六人とも、五十ごじゅう歳以上いじょうの老人ろうじんばかり揃っていたせいか、まだ春の浅あさい座敷ざしきの中は、肌寒はださむいばかりにもの静しずかである。時ときたま、しわぶきの声をさせるものがあっても、それは、かすかに漂ただよっている墨の匂においを動うごかすほどの音さえ立てない。

内蔵助くらのすけは、ふと眼を三国さんこく誌からはなして、遠とおい所を見みるような眼をしながら、静に手を傍かたわらの火鉢ひばちの上にかざした。金網かなあみをかけた火鉢ひばちの中には、いけてある炭の底に、うつくしい赤あかいものが、かんがりと灰を照らしている。その火気かきを感かんじると、内蔵助くらのすけの心には、安やすらかな満足まんぞくの情が、今更いまさらのようにあふれて来た。丁度ちょうど、去年こぞの極月ごくげつ十五日に、亡君ぼうくんの讐あだを復して、泉岳寺せんがくじへ引上ひきあげげた時、彼自みずから「あらたのし思おもいははるる身はすつる、うきよの月にかかる雲なし」と詠じた、その時の満足まんぞくが帰って来たのである。

赤穂あこうの城を退去たいきょして以来いらい、二年に近い月日がっぴを、如何いかに彼は焦慮しょうりょと画策かくさくとの中うちに、費ついやした事であろう。動ややもすればはやり勝かちな、一党いっとうの客気かっきを控制こうせいして、徐おもむろに機の熟じゅくするのを待っただけでも、並大抵なみたいていな骨折ほねおりではない。しかも讐家しゅうかの放った細作さいさくは、絶えず彼かの身辺しんぺんを窺うかがっている。彼は放埓ほうらつを装って、これらの細作さいさくの眼を欺あざむくと共に、併せてまた、その放埓ほうらつに欺かれた同志どうしの疑惑ぎわくをも解かなければならなかった。山科やましなや円山まるやまの謀議ぼうぎの昔を思い返せば、当時とうじの苦衷くちゅうが再ふたたび心の中によみ返って来くる。――しかし、もうすべては行ゆく処へ行きついた。

もし、まだ片のつかないものがあるとすれば、それは一党いっとう四十しじゅう七人に対たいする、公儀こうぎの御沙汰ごさただけである。が、その御沙汰さたがあるのも、いずれ遠とおい事ではないのに違いない。そうだ。すべては行ゆく処へ行きついた。それも単たんに、復讐ふくしゅうの挙が成就じょうじゅしたと云いうばかりではない。すべてが、彼かの道徳どうとく上の要求ようきゅうと、ほとんど完全かんぜんに一致いっちするような形式けいしきで成就じょうじゅした。彼は、事業じぎょうを完成かんせいした満足まんぞくを味ったばかりでなく、道徳どうとくを体現たいげんした満足まんぞくをも、同時どうじに味あじわう事が出来しゅったいたのである。しかも、その満足まんぞくは、復讐ふくしゅうの目的もくてきから考かんがえても、手段しゅだんから考かんがえても、良心りょうしんの疚やましさに曇らされる所は少すこしもない。彼として、これ以上いじょうの満足まんぞくがあり得ようか。……

こう思おもいながら、内蔵助くらのすけは眉をのべて、これも書見しょけんに倦うんだのか、書物しょもつを伏ぶせた膝の上へ、指で手習てならいをしていた吉田よしだ忠左衛門ちゅうざえもんに、火鉢ひばちのこちらから声をかけた。

「今日きょうは余程よほど暖あたたかいようですな。」

「さようでございます。こうして居りましても、どうかすると、あまり暖あたたかいので、睡気ねむけがさしそうでなりません。」

内蔵助くらのすけは微笑えみした。この正月しょうがつの元旦がんたんに、富森助右衛門とみのもりすけえもんが、三杯の屠蘇とそに酔って、「今日きょうも春恥しからぬ寝武士もののふかな」と吟じた、その句がふと念頭ねんとうに浮んだからである。句意くいも、良雄よしかつが今感かんじている満足まんぞくと変りはない。

「やはり本意ほんいを遂とげたと云いう、気のゆるみがあるのでございましょう。」

「さようさ。それもありましょう。」

忠左衛門ちゅうざえもんは、手てもとの煙管きせるをとり上げて、つつましく一服いっぷくの煙を味った。煙は、早春そうしゅんの午後ごごをわずかにくゆらせながら、明あかるい静しずかさの中に、うす青く消えてしまう。

「こう云いうのどかな日を送おくる事があろうとは、お互に思いがけなかった事ですからな。」

「さようでございます。手前てまえも二度と、春に逢おうなどとは、夢にも存ぞんじませんでした。」

「我々は、よくよく運のよいものと見えますな。」

二人ふたりは、満足まんぞくそうに、眼で笑い合った。――もしこの時、良雄よしおの後うしろの障子そうじに、影法師ほうしが一つ映らなかったなら、そうして、その影法師ほうしが、障子そうじの引手ひきてへ手をかけると共に消えて、その代りに、早水はやみ藤左衛門とうざえもんの逞たくましい姿が、座敷ざしきの中へはいって来なかったなら、良雄よしおはいつまでも、快こころよい春の日の暖さを、その誇らかな満足まんぞくの情と共に、味あじわう事が出来しゅったいたのであろう。が、現実げんじつは、血色けっしょくの良いい藤左衛門とうざえもんの両頬りょうほうに浮んでいる、ゆたかな微笑えみと共に、遠慮えんりょなく二人ふたりの間へはいって来た。が、彼等は、勿論もちろんそれには気がつかない。

「大分だいぶ下しもの間まは、賑にぎやかなようですな。」

忠左衛門ちゅうざえもんは、こう云いながら、また煙草たばこを一服いっぷく吸いつけた。

「今日きょうの当番とうばんは、伝右衛門でんえもん殿ですから、それで余計よけい話がはずむのでしょう。片岡かたおかなども、今いまし方がたあちらへ参って、そのまま坐りこんでしまいました。」

「道理どうりこそ、遅おそいと思いましたよ。」

忠左衛門ちゅうざえもんは、煙にむせて、苦しそうに笑った。すると、頻しきりに筆を走らせていた小野寺おのでら十内じゅうないが、何かと思った気色けしきで、ちょいと顔をあげたが、すぐまた眼を紙へ落おとして、せっせとあとを書かき始はじめる。これは恐おそらく、京都きょうとの妻女さいじょへ送おくる消息しょうそくでも、認したためていたものであろう。――内蔵助くらのすけも、眦まなじりの皺しわを深くして、笑わらいながら、

「何か面白おもしろい話でもありましたか。」

「いえ。不相変あいかわらずの無駄話むだばなしばかりでございます。もっとも先刻せんこく、近松ちかまつが甚三郎じんざぶろうの話を致した時には、伝右衛門でんえもん殿なぞも、眼に涙をためて、聞いて居られましたが、そのほかは――いや、そう云えば、面白おもしろい話がございました。我々が吉良きら殿を討取って以来いらい、江戸えど中に何かと仇討あだうちじみた事が流行はやるそうでございます。」

「ははあ、それは思おもいもよりませんな。」

忠左衛門ちゅうざえもんは、けげんな顔をして、藤左衛門とうざえもんを見た。相手あいては、この話をして聞かせるのが、何故なぜか非常ひじょうに得意とくいらしい。

「今も似よりの話を二つ三つ聞いて来ましたが、中でも可笑おかしかったのは、南八丁堀みなみはっちょうぼりの湊町みなとちょう辺にあった話です。何でも事の起りは、あの界隈かいわいの米屋こめやの亭主ていしゅが、風呂屋ふろやで、隣同志どうしの紺屋こんやの職人しょくにんと喧嘩けんかをしたのですな。どうせ起りは、湯がはねかったとか何とか云いう、つまらない事からなのでしょう。そうして、その揚句あげくに米屋こめやの亭主ていしゅの方が、紺屋こんやの職人しょくにんに桶で散々撲なぐられたのだそうです。すると、米屋こめやの丁稚でっちが一人ひとり、それを遺恨うらみに思って、暮方くれがたその職人しょくにんの外へ出でる所を待伏まちぶせて、いきなり鉤かぎを向むかうの肩へ打ちこんだと云いうじゃありませんか。それも「主人しゅじんの讐かたき、思い知れ」と云いながら、やったのだそうです。……」

藤左衛門とうざえもんは、手真似てまねをしながら、笑わらい笑わらい、こう云った。

「それはまた乱暴らんぼう至極しごくですな。」

「職人しょくにんの方は、大怪我おおけがをしたようです。それでも、近所きんじょの評判ひょうばんは、その丁稚でっちの方が好よいと云いうのだから、不思議ふしぎでしょう。そのほかまだその通町とおりちょう三丁目ちょうめにも一つ、新麹町しんこうじまちの二丁目ちょうめにも一つ、それから、もう一つはどこでしたかな。とにかく、諸方しょほうにあるそうです。それが皆、我々の真似まねだそうだから、可笑おかしいじゃありませんか。」

藤左衛門とうざえもんと忠左衛門ちゅうざえもんとは、顔を見合せて、笑った。復讐ふくしゅうの挙が江戸えどの人心じんしんに与えた影響えいきょうを耳にするのは、どんな些事さじにしても、快こころよいに相違そういない。ただ一人ひとり内蔵助くらのすけだけは、僅に額へ手を加えたまま、つまらなそうな顔をして、黙っている。――藤左衛門とうざえもんの話は、彼かの心の満足まんぞくに、かすかながら妙な曇くもりを落させた。と云っても、勿論もちろん彼が、彼かのした行為こういのあらゆる結果けっかに、責任せきにんを持もつ気でいた訳ではない。彼等が復讐ふくしゅうの挙を果はたして以来いらい、江戸えど中に仇討あだうちが流行はやりした所で、それはもとより彼かの良心りょうしんと風馬牛ふうばぎゅうなのが当然とうぜんである。しかし、それにも関らず、彼かの心からは、今までの春の温ぬくもりが、幾分いくぶんか減却げんきゃくしたような感かんじがあった。

事実じじつを云えば、その時の彼は、単たんに自分じぶんたちのした事の影響えいきょうが、意外いがいな所まで波動はどうしたのに、聊いささか驚いただけなのである。が、ふだんの彼なら、藤左衛門とうざえもんや忠左衛門ちゅうざえもんと共に、笑ってすませる筈のこの事実じじつが、その時の満足まんぞくしきった彼かの心には、ふと不快ふかいな種を蒔まく事になった。これは恐おそらく、彼かの満足まんぞくが、暗々の裡うちに論理ろんりと背馳はいちして、彼かの行為こういとその結果けっかのすべてとを肯定こうていするほど、虫の好い性質せいしつを帯おびていたからであろう。勿論もちろん当時とうじの彼かの心には、こう云いう解剖的かいぼうてきな考かんがえは、少すこしもはいって来なかった。彼はただ、春風しゅんぷうの底に一脈いちみゃくの氷冷ひれいの気を感かんじて、何となく不愉快ゆかいになっただけである。

しかし、内蔵助くらのすけの笑わなかったのは、格別かくべつ二人ふたりの注意ちゅういを惹かなかったらしい。いや、人の好い藤左衛門とうざえもんの如きは、彼自身おのれにとってこの話が興味きょうみあるように、内蔵助くらのすけにとっても興味きょうみがあるものと確信かくしんして疑わなかったのであろう。それでなければ、彼は、更さらに自身おのれ下しもの間まへ赴いて、当日とうじつの当直とうちょくだった細川ほそかわ家の家来けらい、堀内ほりうち伝右衛門でんえもんを、わざわざこちらへつれて来などはしなかったのに相違そういない。所が、万事ばんじにまめな彼は、忠左衛門ちゅうざえもんを顧かえりみて、「伝右衛門でんえもん殿をよんで来ましょう。」とか何とか云いうと、早速さそく隔へだての襖ふすまをあけて、気軽く下の間へ出向いて行った。そうして、ほどなく、見た所から無骨ぶこつらしい伝右衛門でんえもんを伴なって、不相変あいかわらずの微笑えみをたたえながら、得々とくとくとして帰って来た。

「いや、これは、とんだ御足労そくろうを願って恐縮きょうしゅくでございますな。」

忠左衛門ちゅうざえもんは、伝右衛門でんえもんの姿を見みると、良雄よしかつに代って、微笑しながらこう云った。伝右衛門でんえもんの素朴そぼくで、真率しんそつな性格せいかくは、お預けになって以来いらい、夙つとに彼と彼等との間を、故旧こきゅうのような温情おんじょうでつないでいたからである。

「早水氏はやみうじが是非ぜひこちらへ参れと云われるので、御邪魔じゃまとは思おもいながら、罷まかり出ました。」

伝右衛門でんえもんは、座につくと、太ふとい眉毛まゆげを動かしながら、日にやけた頬の筋肉きんにくを、今にも笑わらい出しそうに動かして、万遍まんべんなく一座いちざを見廻みまわりした。これにつれて、書物しょもつを読んでいたのも、筆を動かしていたのも、皆それぞれ挨拶あいさつをする。内蔵助くらのすけもやはり、慇懃いんぎんに会釈えしゃくをした。ただその中で聊いささか滑稽こっけいの観があったのは、読よみかけた太平たいへい記を前に置いて、眼鏡がんきょうをかけたまま、居眠いねむりをしていた堀部ほりべ弥兵衛やへいが、眼をさますが早はやいか、慌ててその眼鏡がんきょうをはずして、丁寧ていねいに頭を下げた容子ようすである。これにはさすがな間喜兵衛きへいも、よくよく可笑おかしかったものと見えて、傍かたわらの衝立ついたての方を向むきながら、苦しそうな顔をして笑をこらえていた。

「伝右衛門でんえもん殿も老人ろうじんはお嫌ぎらいだと見えて、とかくこちらへはお出いでになりませんな。」

内蔵助くらのすけは、いつに似合わない、滑なめらかな調子ちょうしで、こう云った。幾分いくぶんか乱されはしたものの、まだ彼かの胸底きょうていには、さっきの満足まんぞくの情が、暖く流ながれていたからであろう。

「いや、そう云いう訳ではございませんが、何かとあちらの方々かたがたに引とめられて、ついそのまま、話しこんでしまうのでございます。」

「今も承うけたまわれば、大分だいぶ面白おもしろい話が出たようでございますな。」

忠左衛門ちゅうざえもんも、傍かたわらから口を挟はさんだ。

「面白おもしろい話――と申しますと……」

「江戸えど中で仇討あだうちの真似事まねごとが流行はやると云いう、あの話でございます。」

藤左衛門とうざえもんは、こう云って、伝右衛門でんえもんと内蔵助くらのすけとを、にこにこしながら、等分とうぶんに見比べた。

「はあ、いや、あの話でございますか。人情にんじょうと云いうものは、実げに妙なものでございます。御一同いちどうの忠義ただよしに感かんじると、町人ちょうにん百姓ひゃくせいまでそう云いう真似まねがして見たくなるのでございましょう。これで、どのくらいじだらくな上下じょうげの風俗ふうぞくが、改あらたまるかわかりません。やれ浄瑠璃じょうるりの、やれ歌舞伎かぶきのと、見たくもないものばかり流行はやっている時でございますから、丁度ちょうどよろしゅうございます。」

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Where this text comes from

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First published
「中央公論」1917(大正6)年9月
Source edition (底本)
底本:「芥川龍之介全集2」ちくま文庫、筑摩書房


   1986(昭和61)年10月28日第1刷発行

   1996(平成8)年7月15日第11刷発行

底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房

   1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月

入力:野口英司

校正:もりみつじゅんじ

1997年11月17日公開

2004年3月7日修正

青空文庫作成ファイル:

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Typed by (入力)
野口英司
Proofread by (校正)
もりみつじゅんじ

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