Nihoner

寺田寅彦 Torahiko Terada 1878.11.28〜1935.12.31

ある幻想曲の序

あるげんそうきょくのじょ

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一

何もない空虚くうきょの闇の中に、急に小ちいさな焔が燃もえ上あがる。墓原はかわらの草の葉末はずえを照てらす燐火りんかのように、深ぶかい噴火ふんか口の底にひらめく硫火の舌のように、ゆらゆらと燃もえ上あがる。

焔の光に照らされて、大おおきな暖炉だんろの煤すすけた空洞くうどうが現あらわれる。焔は空洞くうどうの腹を嘗なめて頂上ちょうじょうの暗ぐらい穴に吸い込まれる。穴の奥でひとしきりゴオと風の音がすると、焔は急に大きくなって下の石炭せきたんが活きて輝かがやき始はじめる。

炉の前に、大おおきな肘掛ひじかけ椅子いすに埋もれた、一人ひとりの白髪しらがの老人ろうじんが現あらわれる。身動みうごき一つしないで、じっと焔を見詰めている。焔の中を透して過去かこの幻影げんえいを見詰めている。

焔の幕の向むかうに大おおきな舞踊ぶようの場が拡がっている。華はなやかな明あかるい楽の音につれて胡蝶こちょうのような人の群が動いている。

焔が暗くなる。

木深こぶかい庭園ていえんの噴水ふんすいの側に薔薇しょうびの咲き乱れたパアゴラがある。その蔭に男女なんにょの姿が見まみえる。どこかで夜の鶯うぐいすの声が聞きこえる。

石炭せきたんがはじけて凄すさまじい爆音ばくおんが聞きこえると、黒ぐろい煙がひとしきり渦巻いて立たち昇のぼる。

物恐ものおそろしい戦場せんじょうが現あらわれる。鍋の物のいりつくような音を立てて飛んで来くる砲弾ほうだんが眼の前に破裂はれつする。白じろい煙の上にけし飛とぶ枯木こぼくの黒ぐろい影が見まみえる。

戦場せんじょうが消きえると、町まちはずれの森蔭もりかげの草地くさちが現あらわれる。二人ふたりの男が遠とおくはなれて向むかい合って立っている。二人ふたりが同時どうじに右手みぎてを挙あげたと思おもうと手のさきからぱっと白じろい煙が出でる。するとその一人ひとりは柱を倒たおすようにうつむきに倒たおれる。夜明よあけの光が森の上に拡がって、露の草原くさはらに虫が鳴いている。

草原くさはらがいつともなく海に変かわる。果もない波の原を分わけて行ゆく船の舷側げんそくにもたれて一人ひとりの男が立っている。今太陽たいようの没したばかりの水平すいへい線の彼方あなたを眺ながめている。大おおきな涙の緒が頬を伝わって落おちる。夕映ゆうばえを受けた帆の色が血のように赤あかい。

夕映ゆうばえの雲の形が崩れて金髪きんぱつの女が現あらわれる。乱みだれた金髪きんぱつを双の手に掻き乱して空を仰いだ顔には絶望ぜつぼうの色がある。その上に青あおい星が輝いている。

炉の火が一時いちじにくずれて、焔がぱったり消きえる。老人ろうじんはさっきのままの姿勢しせいでいつまでも炉の火を見つめている。

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First published
「明星 第四巻第二号」1923(大正12)年8月1日
Source edition (底本)
底本:「寺田寅彦全集 第一巻」岩波書店

   1996(平成8)年12月5日発行

底本の親本:「寺田寅彦全集 第二巻」岩波書店

   1985(昭和60)年9月5日第3刷発行

初出:「明星 第四巻第二号」

   1923(大正12)年8月1日発行

入力:Nana ohbe

校正:佳代子

2004年1月6日作成

2016年2月25日修正

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Nana ohbe
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佳代子

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