Nihoner

中島敦 Atsushi Nakajima 1909.05.05〜1942.12.04

鏡花氏の文章

きょうかしのぶんしょう

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日本にぽんには花の名所などころがあるように、日本にぽんの文学ぶんがくにも情緒じょうしょの名所などころがある。泉鏡花きょうか氏の芸術げいじゅつが即すなわちそれだ。と誰かが言って居たのを私は覚おぼえている。併しかし、今時いまどきの女学生がくせい諸君しょくんの中に、鏡花きょうかの作品さくひんなぞを読んでいる人は殆ほとんどないであろうと思われる。又、もし、そんな人がいた所で、そういう人はきっと今更いまさら鏡花きょうかでもあるまいと言ゆうに違いない。にもかかわらず、私がここで大威張いばりで言いたいのは、日本人ほんにんに生れながら、あるいは日本にぽん語を解しながら、鏡花きょうかの作品さくひんを読まないのは、折角せっかくの日本人ほんにんたる特権とっけんを抛棄ほうきしているようなものだ。ということである。しかも志賀しが直哉なおや氏のような作家さっかは之を知らないことが不幸ふこうであると同様どうように、之を知しることも(少すこしくとも文学ぶんがくを志こころざすものにとっては)不幸ふこうであると(いささか逆説ぎゃくせつ的ではあるが)言いえるのだが、鏡花きょうか氏の場合ばあいは之と異ことなる。鏡花きょうか氏の作品さくひんについては之を知らないことは不幸ふこうであり、之を知しることは幸である。とはっきり言いい切きれるのである。ここに、氏の作品さくひんの近代きんだい的小説しょうせつでない所以ゆえんがあり、又それが永遠えいえんに新あたらしい魅力みりょくを有もつ所以ゆえんもある。

鏡花きょうか氏こそは、まことに言葉ことばの魔術師じゅつし。感情かんじょう装飾そうしょくの幻術者じゅつしゃ。「芥子がらし粒を林檎りんごのごとく見みなすという欺罔けれんの器」と「波羅葦僧はらいその空をも覗のぞく、伸のび縮ちじむ奇なる眼鏡がんきょう」とを持った奇怪きっかいな妖術師じゅつしである。氏の芸術げいじゅつは一箇の麻酔ますい剤であり、阿片あへんであるともいえよう。

事実じじつ、氏の芸術げいじゅつ境は、日本にぽん文学ぶんがく中にあって特異とくいなものであるばかりでなく、又世界せかい文学ぶんがく中に於てもユニイクなものと言いえるであろう。その神秘しんぴ性に於て、ポオ(彼かの科学かがく性は全くなしとするも)にまさり、その縹渺ひょうびょうたる情趣じょうしゅに於てはるかにホフマンを凌しのぐものがあると考かんがえるのは単たんなる私の思おもいすごしであろうか。空想くうそう的なるものの中の、最もっとも空想くうそう的なもの、浪漫ろまん的なるものの中の、最もっとも浪漫ろまん的なもの、情緒じょうしょ的(勿論もちろん日本にぽん的な)ものの中で、最もっとも情緒じょうしょ的なもの、――それらが相寄より相集って、ここに幽艶ゆうえん・怪奇かいきを極めた鏡花きょうか世界せかいなるものを造つくり出だす。其処そこでは醜悪しゅうあくな現実げんじつはすべて、氏の奔放ほんぽうな空想くうそうの前に姿をひそめて、ただ、氏一箇の審美しんび眼、もしくは正義せいぎ観に照らされて、「美」あるいは「正」と思われるもののみが縦横たてよこに活躍かつやくする。そこに登場とうじょうする女は、下女しもおんなの末といえども、悉ことごとく、色が抜けるように白くなければならぬ。それは、全く、今の私達の眼から見て、時代じだい錯誤さくごに近い世界せかい――髭の生えた官員かんいん様がえらかったり、色々な肩書かたがきが法外ほうがいにものをいったりする世界せかい――なのであるが、そういう時代じだい錯誤さくご的な観念かんねんさえもが(更さらに、氏の作品さくひんの構想こうそうの幼稚ようちな不自然じねんささえも)ここでは「鏡花きょうか的な美」の不可欠ふかけつの要素ようそとなっているのは不思議ふしぎなことである。蝙蝠かわほり(湯女ゆなの魂)・蝦蟇がま・河童かっぱ(飛剣ひけん幻なり)・蛭・猿(高野たかのの聖)等のかもし出だす怪奇かいきと、狭斜きょうしゃの巷に意気いきと張はりとで生きて行ゆく女性じょせい(婦系図けいずのお蔦つた等・通夜つや物語ものがたりの丁山・その他)純情じゅんじょうの少女しょうじょ(婦系図けいずのお妙・三枚続のお夏なつ以下いか)勇いさみ肌はだの兄哥あにい(三枚続の愛吉あいきち)等のつくり出だす情調じょうちょうと――この二つが、まぜあわされて、ここに、鏡花きょうか好このみに統一とういつされた極楽ごくらく浄土じょうどともいうべき別乾坤けんこんができ上あがるのである。読者どくしゃは、それが、つくりもの――つくりものもつくりもの、大変たあいへんなつくりものなのだが――であることを、はじめは知っていながら、つい、うかうかと引ずりこまれて、いつの間にか、作者さくしゃの夢と現実げんじつとの境が分らなくなって了じまう。ここに氏の作品さくひんと、漱石そうせきの初期しょきの作品さくひん――倫敦ろんどん塔・幻影げんえいの盾・虞美人びじん草等――との相違そういがある。これらの漱石そうせきの作品さくひんを読よみながら読者どくしゃは最後さいごまで、それがつくりものであることを忘わすれないでいることができる。それが、鏡花きょうか氏の作品さくひんだと、読者どくしゃは何時ときの間まにか作者さくしゃの夢の中にまきこまれていて、巻を終って、はじめてほっと息をついて、それが現実げんじつではなかったことに気付きずくのである。思おもうにこれは、この二人ふたりの作家さっかの才能さいのうの差ではなくして、その自みずからの夢に対たいする情熱じょうねつの相違そういのしからしむるところであろう。

所で、一体いったい、阿片あへんの快楽かいらくに慣なれるためには、はじめ一方いっぽうならぬ不快ふかいと苦痛くつうとを忍ばねばならぬという。しかも、一度ひとたびそれに慣なれて了じまうと、今度こんどは瞬時しゅんじも離はなれられないほど、その愉楽ゆらくにしばられて了じまうのであるという。丁度ちょうどこれと同様どうようなことが鏡花きょうか氏の芸術げいじゅつについてもいえると私は考かんがえる。鏡花きょうか世界せかいなる秘境ひきょうに到達とうたつするためには先まず、その「表現ひょうげんの晦渋かいじゅう」という難関なんかんを突破とっぱしなければならない。これを通過つうかしなければ、鏡花きょうか世界せかいなる別乾坤けんこんは、ついに、覗くことができないのである。実際じっさい、氏の表現ひょうげんは奇峭きしょうであり、晦渋かいじゅうである。『凧刻んで夜の壁に描き得た我わが霊妙れいみょうなる壁画へきがを瞬しばたたく間に擾して、越後えちご獅子ししの譜の影は蠅になって舞踏ぶとうする。蚯蚓みみずも輪に刎ね蚰蜒ゲジゲジは反って踊おどる。』(隣の糸)なぞという文章ぶんしょうにあっては、全くはじめての人は面喰くうであろう。この表現ひょうげんの奇矯ききょうという点に於て、氏はまた後の大正たいしょう時代じだいになって現あらわれた新感覚かんかく派なるものと一脈いちみゃく相通つうずる所がある。大体だいたい、新感覚かんかく派といっても、その狙ねらう所は「外界がいかいの刺戟しげきを感受かんじゅする方法ほうほうの新しさ」というよりは、むしろ、「その感覚かんかくの表現法げんぽうの新しさ」にあるように思われる。単たんに感覚かんかくの清新せいしんという点から見れば、文学史がくしを遥はるかに遡って、「削けずり氷ひにあまづら入れて、新しき鋺に入れたる。水晶すいしょうの数珠じゅず・藤の花・梅の花に雪の降りかゝりたる。いみじう美しき稚児ちごの覆盆子いちごなど喰ひたる。」を「あてなる物」と見た枕草子そうしの作者さくしゃなぞも、立派りっぱな新感覚かんかく派だと思おもう。雑誌ざっし「文芸ぶんげい時代じだい」に拠った新感覚かんかく派は、むしろ奇矯ききょうなる表現ひょうげんのみを重視じゅうししていた。事実じじつ的には、表現法げんぽうに努力どりょくすることによって、逆に、そのもととなるべき感覚かんかくの尖鋭せんえい化への修練しゅうれんが積まれて行ったようである。

「雄蘂おしべの弓が新月しんげつのように青空あおぞらへ矢を放った。」……「春景しゅんけい色」(川端かわばた康成やすなり)

「栗毛くりげの馬の平原ひらはらは狂人きょうじんをのせてうねりながら、黒ぐろい地平じへい線をつくって、潮のように没落ぼつらくへと溢れて行った。」……「ナポレオンと田虫たむし」(横光よこみつ利一としかず)

鏡花きょうか氏も、単たんに、その感覚かんかくの新鮮しんせんと表現ひょうげんの斬新ざんしんとから見みるならば、決けっして、之等の新感覚かんかく派の人々に劣らないのである。

『時雨しぐれに真蒼まっさおなのは蒼鬣魚かわはぎの鰭である。形は小ちいさいが、三十さんじゅう枚ばかりずつ幾山にも並べた、あの暗灰色はいいろの菱形ひしがたの魚を三角形つのがたに積んで、下積したずみになったのは軒下のきしたの石に藍を流ながして、上の方は浜の砂をざらざらとそのままだから、海の底のピラミッドを影で覗のぞく鮮しさがある。』(卵塔らんとう場の天女てんにょ)

『汽車きしゃはもう遠とおくの方で、名物めいぶつ焼蛤の白じろい煙を夢のように月下げっかに吐いて、真蒼まっさおな野路のじを光って通とおる。』(歌行燈あんどん)なぞ、以下いか例を挙げれば限かぎりもないが、決けっして新感覚かんかく派の人達に比して遜色そんしょくないと思われる。但ただし、横光よこみつ氏等の当時とうじの作品さくひんには、鏡花きょうか氏には見られない、作品さくひん全体ぜんたいの(もしくは、その中の一つの情景じょうけいの)構成こうせいそれ自みずからの中の新しさというものがあった。

『父が突然とつぜん死んで了った。私は海峡かいきょうを渡わたるとバナナを四日間かかんたべつづけて、まだ知らぬ街まで出でかけて行った。母は、とある街角まちかどの三角形つのがたの奇怪きっかいな硝子しょうし張はりの家の中で、ひとり、机のようにぼんやりと坐っていた。』「青あおい大尉たいい」(横光よこみつ利一としかず)

これは作者さくしゃの現実げんじつを見みる眼の相違そういからくるものであって、文学ぶんがく史的してきに考かんがえて見て、表現ひょうげん派の洗礼せんれいを受けた新感覚かんかく派に之が見られ、表現ひょうげん派以前いぜんである鏡花きょうか氏に之が見られないのは当然とうぜんのことである。

併しかしながら、その新感覚かんかく派の作家達いえさとがわずか数年にして、その奇矯ききょうなる表現法げんぽうを捨てて了った(あるいは、それを使つかいこなす力がなくなって了った。)に対して、鏡花きょうか氏は実げに三十さんじゅう年一日ついたちの如く、その独自どくじの表現法げんぽうを固守こしゅして益々その精彩せいさいを加えてきているのである。これは、新感覚かんかく派の諸作しょさく家の表現法げんぽうが、単たんなる一時いちじの雷同らいどうひょっとした思おもいつき、に止っていたのに反して(横光よこみつ氏などの場合ばあいは、そうとばかりも言いきれないが)鏡花きょうか氏のそれが、何よりも、氏自身おのれの中ちゅうから生れた、身についた表現法げんぽうであることの証拠しょうこであろう、と私は思おもう。実げにかくの如く突兀とっこつ・奇峭きしょうにして、又絢爛けんらんを極めた言葉ことばの豪奢ごうしゃな織物おりものでなくては、とても、氏の内なる美うつくしい幻想げんそうを――奇怪きっかいな心象しんしょう風景ふうけいを――写うつし出だすことは出来しゅったいないのである。氏の文章ぶんしょうは、だから、他人たにんの眼には如何いかに奇怪きっかいにうつろうとも、氏自みずからにとっては、他の何物なにものをもっても之にかえることのできない、唯一ただいち無二むにの表現ひょうげん術なのである。かかる作者さくしゃ自身おのれの感情かんじょうや感覚かんかくの裏打うらうちがあればこそ、氏の文章ぶんしょうは、かくも人をひきつけるのである。単たんなる、きまぐれや思おもいつきだけであったなら、三十さんじゅう年の長ながい年月としつきの間に必かならずや、化の皮を現わしたことに違ちげいないと、私は考かんがえるのである。

(昭和しょうわ八年七月ふみつき発行はっこう、「学苑がくえん」第一だいいち号)

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First published
「学苑」1933(昭和8)年7月
Source edition (底本)
底本:「中島敦全集 3」ちくま文庫、筑摩書房


   1993(平成5)年5月24日第1刷発行

   2003(平成15)年3月20日第5刷発行

入力:門田裕志

校正:多羅尾伴内

2003年7月6日作成

青空文庫作成ファイル:

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Typed by (入力)
門田裕志
Proofread by (校正)
多羅尾伴内

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