Nihoner

中島敦 Atsushi Nakajima 1909.05.05〜1942.12.04

狐憑

きつねつき

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ネウリ部落ぶらくのシャクに憑つきものがしたという評判ひょうばんである。色々なものがこの男にのり移うつるのだそうだ。鷹たかだの狼おおかみだの獺かわうそだのの霊れいが哀あわれなシャクにのり移って、不思議ふしぎな言葉ことばを吐はかせるということである。

後に希臘ギリシャ人がスキュテイア人と呼んだ未開みかいの人種じんしゅの中でも、この種族しゅぞくは特とくに一風いっぷう変っている。彼等かれらは湖上こじょうに家を建てて住すむ。野獣やじゅうの襲撃しゅうげきを避さけるためである。数千すうせん本ほんの丸太まるたを湖の浅あさい部分ぶぶんに打込うちこんで、その上に板を渡わたし、そこに彼等の家々は立っている。床ゆかのところどころに作られた落おとし戸を開あけ、籠かごを吊つるして彼等は湖の魚を捕とる。独木舟きふねを操り、水狸すいりや獺を捕とらえる。麻布あさぬのの製法せいほうを知っていて、獣皮じゅうひと共にこれを身にまとう。馬肉ばにく、羊肉ひつじにく、木苺きいちご、菱ひしの実等などを喰くい、馬乳ばにゅうや馬乳ばにゅう酒を嗜たしなむ。牝馬めすうまの腹に獣骨じゅうこつの管を挿入さしいれ、奴隷どれいにこれを吹ふかせて乳を垂下したたらせる古来こらいの奇法きほうが伝つたえられている。

ネウリ部落ぶらくのシャクは、こうした湖上こじょう民の最もっとも平凡へいぼんな一人ひとりであった。

シャクが変になり始はじめたのは、去年こぞの春、弟のデックが死んで以来いらいのことである。その時は、北方きたかたから剽悍ひょうかんな遊牧ゆうぼく民ウグリ族の一隊いったいが、馬上ばじょうに偃月刀えんげつとうを振ふりかざして疾風しっぷうのごとくにこの部落ぶらくを襲おそうて来た。湖上こじょうの民は必死ひっしになって禦ふせいだ。初はじめは湖畔こはんに出て侵略者しんりゃくしゃを迎むかえ撃うった彼等も名なだたる北方きたかた草原くさはらの騎馬兵きばへいに当あたりかねて、湖上こじょうの栖処すみかに退いた。湖岸こがんとの間の橋桁はしげたを撤てっして、家々の窓を銃眼じゅうがんに、投石とうせき器や弓矢ゆみやで応戦おうせんした。独木舟きふねを操あやつるに巧たくみでない遊牧ゆうぼく民は、湖上こじょうの村の殲滅せんめつを断念だんねんし、湖畔こはんに残された家畜かちくを奪うばっただけで、また、疾風しっぷうのように北方きたかたに帰って行った。後あとには、血が染にじんだ湖畔こはんの土の上に、頭と右手みぎてとの無なあい屍体したいばかりが幾いくつか残されていた。頭と右手みぎてだけは、侵略しんりゃく者が斬取きりとって持って帰ってしまった。頭蓋骨ずがいこつは、その外側そとがわを鍍金ときんして髑髏杯どくろはいを作ずくるため、右手みぎては、爪つめをつけたまま皮を剥はいで手袋てぶくろとするためである。シャクの弟のデックの屍体したいもそうした辱はずかしめを受うけて打捨てられていた。顔が無なあいので、服装ふくそうと持物もちものとによって見分みわける外はないのだが、革帯かわおびの目印めじるしと鉞まさかりの飾かざりとによって紛まぎれもない弟の屍体したいをたずね出した時、シャクはしばらく茫ぼうっとしたままその惨みじめな姿を眺ながめていた。その様子ようすが、どうも、弟の死を悼いたんでいるのとはどこか違ちがうように見えた、と、後あとでそう言っていた者がある。

その後間もなくシャクは妙みょうな譫言うわごとをいうようになった。何がこの男にのり移って奇怪きかいな言葉ことばを吐かせるのか、初はじめ近処の人々には判わからなかった。言葉ことばつきから判断はんだんすれば、それは生きながら皮を剥がれた野獣やじゅうの霊ででもあるように思われる。一同いちどうが考かんがえた末、それは、蛮人ばんじんに斬取られた彼かの弟デックの右手みぎてがしゃべっているのに違ちげいないという結論けつろんに達した。四五しご日すると、シャクはまた別の霊の言葉ことばを語かたり出でるした。今度こんどは、それが何どの霊であるか、すぐに判った。武運ぶうん拙つたなく戦場せんじょうに斃たおれた顛末てんまつから、死後しご、虚空こくうの大霊だいれいに頸筋くびすじを掴つかまれ無限むげんの闇黒あんこくの彼方かなたへ投げやられる次第しだいを哀かなしげに語かたるのは、明あきらかに弟デックその人と、誰だれもが合点がてんした。シャクが弟の屍体したいの傍に茫然ぼうぜんと立っていた時、秘ひそかにデックの魂たましいが兄の中に忍しのび入ったのだと人々は考かんがえた。

さて、それまでは、彼かの最もっとも親したしい肉親にくしん、及およびその右手みぎてのこととて、彼にのり移うつるのも不思議ふしぎはなかったが、その後一時いちじ平静へいせいに復かえったシャクが再ふたたび譫言うわごとを吐き始はじめた時、人々は驚おどろいた、今度こんどはおよそシャクと関係かんけいのない動物どうぶつや人間じんかん共の言葉ことばだったからである。

今までにも憑つきもののした男や女はあったが、こんなに種々雑多ざったなものが一人ひとりの人間じんかんにのり移った例ためしはない。ある時は、この部落ぶらくの下の湖を泳ぎ廻まわる鯉こいがシャクの口を仮かりて、鱗族達いろくずたちの生活せいかつの哀しさと楽しさとを語った。ある時は、トオラス山の隼はやぶさが、湖と草原くさはらと山脈さんみゃくと、またその向むかうの鏡のごとき湖との雄大ゆうだいな眺望ちょうぼうについて語った。草原くさはらの牝狼めすおうかみが、白けた冬の月の下で飢うえに悩なやみながら一晩中凍いてた土の上を歩あるき廻まわる辛つらさを語かたることもある。

人々は珍めずらしがってシャクの譫言うわごとを聞きに来た。おかしいのは、シャクの方でも(あるいは、シャクに宿やどる霊共の方でも)多くの聞きき手てを期待きたいするようになったことである。シャクの聴衆ちょうしゅうは次第しだいにふえて行ったが、ある時彼等の一人ひとりがこんなことを言った。シャクの言葉ことばは、憑つきものがしゃべっているのではないぞ、あれはシャクが考かんがえてしゃべっているのではないかと。

なるほど、そう言えば、普通ふつう憑つきもののした人間じんかんは、もっと恍惚こうこつとした忘我ぼうがの状態じょうたいでしゃべるものである。シャクの態度たいどには余あまり狂気きょうきじみた所がないし、その話は条理じょうりが立ち過すぎている。少すこし変だぞ、という者がふえて来た。

シャク自身おのれにしても、自分じぶんの近頃ちかごろしている事柄ことがらの意味いみを知ってはいない。もちろん、普通ふつうのいわゆる憑つきものと違たがうらしいことは、シャクも気がついている。しかし、なぜ自分じぶんはこんな奇妙きみょうな仕草しぐさを幾月いくつきにも亘わたって続つずけて、なお、倦うまないのか、自分じぶんでも解わからぬ故、やはりこれは一種いっしゅの憑つきもののせいと考かんがえていいのではないかと思っている。初はじめは確たしかに、弟の死を悲かなしみ、その首や手の行方ゆくえを憤いきどおろしく思おもい画えがいている中うちに、つい、妙なことを口走ってしまったのだ。これは彼かの作為さくいでないと言いえる。しかし、これが元来がんらい空想くうそう的な傾向けいこうを有もつシャクに、自己じこの想像そうぞうをもって自分じぶん以外いがいのものに乗のり移うつることの面白おもしろいさを教えた。次第しだいに聴衆ちょうしゅうが増まし、彼等の表情ひょうじょうが、自分じぶんの物語ものがたりの一弛一張いっしいっちょうにつれて、あるいは安堵あんどの・あるいは恐怖きょうふの・偽いつわりならぬ色を浮うかべるのを見みるにつけ、この面白おもしろいさは抑おさえきれぬものとなった。空想くうそう物語ものがたりの構成こうせいは日を逐おうて巧たくみになる。想像そうぞうによる情景じょうけい描写びょうしゃはますます生彩せいさいを加えて来くる。自分じぶんでも意外いがいな位、色々な場面ばめんが鮮あざやかにかつ微細びさいに、想像そうぞうの中に浮び上って来くるのである。彼は驚おどろきながら、やはりこれは何かある憑つきものが自分じぶんに憑いているのだと思わない訳に行かない。但ただし、こうして次から次へと故知こちらず生み出されて来くる言葉ことば共を後々のちのちまでも伝つたえるべき文字もんじという道具どうぐがあってもいいはずだということに、彼はいまだ思い到いたらない。今、自分じぶんの演じている役割やくわりが、後世ごせどんな名前なまいで呼ばれるかということも、もちろん知しるはずがない。

シャクの物語ものがたりがどうやら彼かの作為さくいらしいと思われ出だしてからも、聴衆ちょうしゅうは決けっして減らなかった。かえって彼に向って次々に新あたらしい話を作ずくることを求もとめた。それがシャクの作つくり話ばなしだとしても、生来せいらい凡庸ぼんようなあのシャクに、あんな素晴すばらしい話を作らせるものは確たしかに憑つきものに違ちげいないと、彼等もまた作者さくしゃ自身おのれと同様どうようの考かんがえ方をした。憑つきもののしていない彼等には、実際じっさいに見もしない事柄ことがらについて、あんなに詳くわしく述のべることなど、思おもいも寄らぬからである。湖畔こはんの岩陰いわかげや、近ちかくの森の樅もみの木この下したや、あるいは、山羊やぎの皮をぶら下げたシャクの家の戸口ここうの所などで、彼等はシャクを半円はんえんにとり囲んで坐すわりながら、彼かの話を楽しんだ。北方きたかたの山地さんちに住すむ三十さんじゅう人の剽盗ひょうとうの話や、森の夜の怪物かいぶつの話や、草原くさはらの若わかい牡牛おうしの話などを。

若わかい者達がシャクの話に聞き惚ほれて仕事しごとを怠おこたるのを見て、部落ぶらくの長老ちょうろう連が苦にがい顔をした。彼等の一人ひとりが言った。シャクのような男が出たのは不吉ふきつの兆きざしである。もし憑つきものだとすれば、こんな奇妙きみょうな憑つきものは前代未聞ぜんだいみもんだし、もし憑つきものでないとすれば、こんな途方とほうもない出鱈目でたらめを次から次へと思おもいつく気違きちがいいはいまだかつて見たことがない。いずれにしても、こんな奴やつが飛出とびでしたことは、何か自然じねんに悖もとる不吉ふきつなことだと。この長老ちょうろうがたまたま、家の印として豹ひょうの爪を有もつ・最もっとも有力な家柄いえがらの者だったので、この老人ろうじんの説は全長老ちょうろうの支持しじする所となった。彼等は秘かにシャクの排斥はいせきを企たくらんだ。

シャクの物語ものがたりは、周囲しゅういの人間じんかん社会しゃかいに材料ざいりょうを採どることが次第しだいに多くなった。いつまでも鷹や牡牛おうしの話では聴衆ちょうしゅうが満足まんぞくしなくなって来たからである。シャクは、美しく若わかい男女なんにょの物語ものがたりや、吝嗇けちで嫉妬しっと深ぶかい老婆ろうばの話や、他人たにんには威張いばっていても老妻ろうさいにだけは頭の上がらぬ酋長しゅうちょうの話をするようになった。脱毛期だつもうきの禿鷹はげたかのような頭をしているくせに若わかい者と美うつくしい娘むすめを張合はりあいって惨みじめに敗れた老人ろうじんの話をした時、聴衆ちょうしゅうがドッと笑った。余あまり笑わらうのでその訳を訊たずねると、シャクの排斥はいせきを発議はつぎした例の長老ちょうろうが最近さいきんそれと同じような惨みじめな経験けいけんをしたという評判ひょうばんだからだ、と言った。

長老ちょうろうはいよいよ腹を立てた。白蛇はくじゃのような奸智かんちを絞しぼって、彼は計をめぐらした。最近さいきんに妻を寝取ねとられた一人ひとりの男がこの企くわだてに加わった。シャクが自分じぶんにあてこするような話をしたと信じたからである。二人ふたりは百方ひゃっぽう手を尽つくして、シャクが常に部落ぶらく民としての義務ぎむを怠っていることに、みんなの注意ちゅういを向けようとした。シャクは釣つりをしない。シャクは馬の世話せわをしない。シャクは森の木を伐きらない。獺の皮を剥がない。ずっと以前いぜん、北きたの山々から鋭するどい風が鵝毛がもうのような雪片せっぺんを運んで来て以来いらい、誰か、シャクが村の仕事しごとをするのを見た者があるか?

人々は、なるほどそうだと思った。実際じっさい、シャクは何もしなかったから。冬籠ふゆごもりに必要ひつような品々を頒わけ合あう時になって、人々は特とくに、はっきりと、それを感じた。最もっとも熱心なシャクの聞きき手てまでが。それでも、人々はシャクの話の面白おもしろいさに惹ひかれていたので、働かないシャクにも不承無承ふしょうぶしょう冬の食物しょくもつを頒け与あたえた。

厚あつい毛皮けがわの陰に北風きたかぜを避け、獣糞じゅうふんや枯木こぼくを燃した石の炉ろの傍で馬乳ばにゅう酒を啜すすりながら、彼等は冬を越こす。岸の蘆あしが芽ぐみ始はじめると、彼等は再ふたたび外へ出て働はたらき出した。

シャクも野に出たが、何か眼めの光も鈍にぶく、呆ぼけたように見まみえる。人々は、彼がもはや物語ものがたりをしなくなったのに気が付いた。強しいて話を求もとめても、以前いぜんしたことのある話の蒸むし返かえししか出来しゅったいない。いや、それさえ満足まんぞくには話せない。言葉ことばつきもすっかり生彩せいさいを失ってしまった。人々は言った。シャクの憑つきものが落おちたと。多くの物語ものがたりをシャクに語らせた憑つきものが、もはや、明あきらかに落おちたのである。

憑つきものは落おちたが、以前いぜんの勤勉きんべんの習慣しゅうかんは戻もどって来なかった。働はたらきもせず、さりとて、物語ものがたりをするでもなく、シャクは毎日まいにちぼんやり湖を眺ながめて暮くらした。その様子ようすを見みる度に、以前いぜんの物語ものがたりの聴手ききて達は、この莫迦面ばかづらの怠なまけ者に、貴とうとい自分じぶん達の冬籠ふゆごもりの食物しょくもつを頒けてやったことを腹立たしく思出した。シャクに含ふくむ所のある長老ちょうろう達は北叟笑ほくそえんだ。部落ぶらくにとって有害ゆうがい無用むようと一同いちどうから認したためられた者は、協議きょうぎの上でこれを処分しょぶんすることが出来できるのである。

硬玉こうぎょくの頸飾けいしょくを着けた鬚深ひげぶかい有力者りきしゃ達が、よりより相談そうだんをした。身内みうちの無なあいシャクのために弁じようとする者は一人ひとりも無なあい。

ちょうど雷雨季らいうきがやって来た。彼等は雷鳴らいめいを最もっとも忌いみ恐おそれる。それは、天なる一眼ひとめの巨人きょじんの怒いかれる呪のろいの声である。一度ひとたびこの声が轟とどろくと、彼等は一切いっさいの仕事しごとを止やめて謹慎きんしんし、悪あしき気を祓はらわねばならぬ。奸譎かんけつな老人ろうじんは、占卜者せんぼくしゃを牛角ぎゅうかく杯二箇こでもって買収ばいしゅうし、不吉ふきつなシャクの存在そんざいと、最近さいきんの頻繁ひんぱんな雷鳴らいめいとを結むすび付つけることに成功せいこうした。人々は次のように決ぎめた。某日ぼうじつ、太陽たいようが湖心こしんの真上まうえを過すぎてから西岸せいがんの山毛欅ぶなの大樹だいきの梢こずえにかかるまでの間に、三度以上いじょう雷鳴らいめいが轟いたなら、シャクは、翌日あくるひ、祖先そせん伝来でんらいのしきたりに従って処分しょぶんされるであろう。

その日の午後ごご、ある者は四度雷鳴らいめいを聞いた。ある者は五度聞いたと言った。

次の日の夕方ゆうがた、湖畔こはんの焚火たきびを囲んで盛さかんな饗宴きょうえんが開かれた。大鍋おおなべの中では、羊や馬の肉に交って、哀あわれなシャクの肉もふつふつ煮にえていた。食物しょくもつの余あまり豊ゆたかでないこの地方じかたの住民じゅうみんにとって、病気びょうきで斃れた者の外、すべての新あたらしい屍体したいは当然とうぜん食用しょくように供せられるのである。シャクの最もっとも熱心な聴手ききてだった縮ちじれっ毛けの青年せいねんが、焚火たきびに顔を火照ほてらせながらシャクの肩かたの肉を頬張ほおばった。例の長老ちょうろうが、憎にくい仇かたきの大腿骨だいたいこつを右手みぎてに、骨に付いた肉を旨うまそうにしゃぶった。しゃぶり終ってから骨を遠とおくへ抛ほうると、水音みずおとがし、骨は湖に沈しずんで行った。

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Where this text comes from

This work is in the public domain — its copyright has expired. The digital text was produced by volunteers at Aozora Bunko (青空文庫), Japan's free digital library, from the printed edition named below.

First published
「光と風と夢」筑摩書房、1942(昭和17)年7月15日
Source edition (底本)
底本:「ちくま日本文学012 中島敦」ちくま文庫、筑摩書房

   2008(平成20)年3月10日第1刷発行

   2009(平成21)年6月20日第3刷発行

底本の親本:「中島敦全集第一卷」筑摩書房

   1976(昭和51)年3月15日初版第1刷発行

初出:「光と風と夢」筑摩書房

   1942(昭和17)年7月15日初版発行

※このファイルには、以下の青空文庫のテキストを、上記底本にそって修正し、組み入れました。

「狐憑」(入力:圭、校正:木本敦子)

※底本の編者による脚注は省略しました。

入力:小池健太

校正:久木舜

2020年11月27日作成

青空文庫作成ファイル:

このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
Typed by (入力)
小池健太
Proofread by (校正)
久木舜

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