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中島敦 Atsushi Nakajima 1909.05.05〜1942.12.04

環礁 ――ミクロネシヤ巡島記抄――

かんしょう

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寂さびしい島

寂さびしい島だ。

島の中央ちゅうおうにタロ芋田が整然せいぜんと作られ、その周囲しゅういを蛸樹たこやレモンや麺麭パン樹やウカルなどの雑木ぞうきの防風ぼうふう木が取巻いている。その、もう一つ外側そとがわに椰子ヤシ林が続き、さてそれからは、白じろい砂浜すなはま――海――珊瑚礁さんごしょうといった順序じゅんじょになる。美うつくしいけれども、寂さびしい島だ。

島民とうみんの家は西岸せいがんの椰子やし林の間に散らばっている。人口じんこうは百七、八十もあろうか。もっと小ちいさい島を幾つも私は見て来た。全島ぜんとう珊瑚さんごの屑ばかりで土が無いために、全然ぜんぜんタロ芋(これが島民とうみんにとっての米に当あたるのだ)の出来しゅったいない島も知っている。虫害ちゅうがいのためにことごとく椰子やしを枯らしてしまった荒涼こうりょうたる島も知っている。それだのに、人口じんこう僅わずか十六人のB島を別にすれば、此処ここほど寂さびしい島は無なあい。何故なぜだろう? 理由りゆうは、ただ一つ。子供こどもがいないからだ。

いや、子供こどももいることはいる。たった一人ひとりいるのだ。今年ことし五歳になる女の児が。そうして、その児の外に二十歳はたち以下いかの者は一人ひとりもいない。死んだのではない。絶えて生れなかったのだ。その女の児(外に子供こどもはいないのだから、言いにくい島民とうみん名前なまいなどは持出さずに、ただ、女の児とだけ呼よぶことにしよう)が生あれる前の十数年間ねんかん、一人ひとりの赤あかん坊ぼうもこの島に生れなかった。女の児が生れてから今に至いたるまで、まだ一人ひとりも生れない。恐おそらく、今後こんごも生れないのではなかろうか。少すこしくとも、この島の年老としよりいた連中れんじゅうはそう信じている。それ故、数年前この女の児が生れた時は、老人ろうじん連が集まって、この島の最後さいごの人間じんかん――女になるべき赤あかん坊ぼうを拝んだということである。最初さいしょの者が崇められるように、最後さいごの者もまた崇められねばならぬ。最初さいしょの者が苦しみを嘗なめたように、最後さいごの者もまたどんなにか苦しみを嘗めねばならぬであろう。そう呟つぶやきながら、黥いれずみをした老爺ろうやや老婆ろうばたちが、哀しげに虔つつしみ深く、赤あかん坊ぼうを礼拝れいはいしたという。但ただし、それは老人ろうじんだけの話で、若わかい者は、何年なにどしにも見たことのない人間じんかんの赤あかん坊ぼうというものが珍しさに、ワイワイ騒さわぎながら見物けんぶつに来たと聞いている。ちょうど女の児が生あれる二年前に、戸口ここう調査ちょうさがあり、その時の記録きろくには人口じんこう三百さんびゃくと記されているのに、今ではもう百七、八十しか無なあい。こんな速すみやかな減少げんしょう率があろうか。死しぬ者ばかりで生あれる者が皆無かいむだと、別に疫病えきびょうに見舞みまいわれた訳でなくとも、こんなに速く減へるものだろうか。当時とうじ女の赤あかん坊ぼうを拝んだ老人ろうじんたちはもはや一人ひとり残らず死んでしまっているに違いない。それでも、老人ろうじんたちの残した訓おしえは固く守られていると見えて、今でも、この島の最後さいごの者たるべき女の児は、喇嘛ラマの活仏いきぼとけのように大事だいじにされている。成人おとなばかりの間にたった一人ひとりの子供こどもでは、可愛かわいいがられるのが当あたり前まえのようだが、この場合ばあいは、それに多分たぶんの原始げんし宗教しゅうきょう的な畏怖いふと哀感あいかんとが加わっているのである。

何故なぜ、この島には赤あかん坊ぼうが生れないのか。性病せいびょうの蔓延まんえんや避妊ひにんの事実じじつは無なあいか、と誰もが訊たずねる。なるほど、性病せいびょうも肺病はいびょうも無なあいことはないが、それは何も、この島に限ったことではない。というよりむしろ、他の島々に比くらべて少すくない位なのだ。避妊ひにんに至いたっては己の島の絶滅ぜつめつを予感よかんしてその前に戦おののいているものが、そんな事をする訳が無なあいのである。また、女性じょせいの身体しんたいの一部いちぶに不自然じねんな施術しじゅつをする奇習きしゅうが原因げんいんだろうという者もあるが、この習慣しゅうかんの本家ほんけたるトラック地方じかたの諸離島りとうでは人口じんこう減少げんしょうの現象げんしょうが見られないのだから、この推測すいそくは当らない。他の島々に比くらべてタロ芋の産出さんしゅつは豊ゆたかだし、椰子やしも麺麭ぱん樹も良く実みのり、食料しょくりょうは余あまる位だ。別に天災てんさい地変ちへんに見舞みまいわれた訳でもない。では、何故なぜだ。何故なぜ、赤あかん坊ぼうが生れないか。私には判らない。恐おそらく、神がこの島の人間じんかんを滅ぼそうと決意けついしたからでもあろう。非科学的がくてきと嗤わらわれても、そうでも考かんがえるより外、仕方しかたが無なあいようである。よく手入ていれされた芋田と、美うつくしい椰子やし林とを真昼まひるの眩まぶしい光の下に見ながら、この島の運命うんめいを考かんがえた時、あらゆる重大じゅうだいなことは凡すべて「にもかかわらずトロッツデム」起おこる、といった誰かの言葉ことばを思おもい出でした。ものが亡ほろびる時は、こんなものなのかと思った。科学者がくしゃたちはその滅亡めつぼうの跡を見て数々の原因げんいんを指摘してきしては得々とくとくとしているが、その原はら因と称しょうする所のものは、何ぞ図らん、原因げんいんではなくて結果けっかに過すぎないことが多おおいのである。

秋の終おわりの最後さいごの薔薇ばらに、思いがけなく大輪たいりんの花が咲さくことがあるように、この島の最後さいごの娘もあるいは素晴らしく美しく怜悧れいりな子(もちろん島民とうみんの標準ひょうじゅんにおいてではあるが)ではあるまいかと、甚はなはだ浪漫ろまん的な空想くうそうを抱いて、私はその女の児を見に行った。そして、すっかり失望しつぼうした。肥ってこそいたが、うす汚ぎたない、愚おろかしい顔付かおつきの、平凡へいぼんな島民とうみんの子である。鈍にぶい目に微かすかに好奇こうき心と怯おびえとを見せて、この島には珍めずらしい内地人ちじんたる私の姿に見入っていた。まだ黥いれずみはしていない。大切たいせつにされているとは言っても、フランペシヤだけは出来できると見まみえる。腕や脚一面いちめんに糜爛びらんした腫物はれものがはびこっていた。自然じねんは私ほどにロマンティストではないらしい。

夕方ゆうがた、私は独ひとり渚なぎさを歩いた。頭上ずじょうには亭々たる椰子やし樹が大きく葉扇を動かしながら、太平たいへい洋の風に鳴っていた。潮の退いたあとの湿った砂を踏んで行ゆく中に、先刻せんこくから私の前後ぜんご左右さゆうを頻しきりに陽炎かげろうのような・あるいは影のようなものがチラチラ走っていることに気が付いた。蟹かになのである。灰色はいいろとも白とも淡褐色かっしょくともつかない・砂とほとんど見分みわけの付かない・ちょっと蝉の脱ぬけ殻がらのような感かんじの・小ちいさな蟹が無数むしゅに逃にげ走はしるのである。南洋なんようには、マングローブ地帯ちたいに多おおい・赤と青のペンキを塗ったような汐招まねき蟹なら到いたる所にいるが、この淡あわい影のような蟹は珍めずらしい。初はじめてパラオ本島ほんとうのガラルド海岸かいがんでこれを見た時、一つ一つの蟹の形は見えずに、ただ、自分じぶんの周囲しゅういの砂がチラチラチラチラと崩れ流れて走はしるような気がして、幻でも見ているような錯覚さっかくに囚とらえられたものであった。今この島でそれを二度目に見みるのである。私が立停ってしばらくじっとしていると、蟹どもの逃走とうそうも止やむ。素速く走はしる灰色はいいろの幻も、フッと消きえるのである。この島の人間じんかんどもが死絶えた(それはもうほとんど確定かくてい的な事実じじつなのだ)後は、この影のような・砂の亡霊ぼうれいのような小蟹どもが、この島を領りょうするのであろうか。灰白色しろいろの揺動ようどうく幻だけがこの島の主となる日を考かんがえると、妙にうそ寒さむい気持きもちがして来た。

薄明はくめいというものの無なあい南国なんこくのことで、陽が海に落おちると、すぐに真暗まっくらになる。私が淋さびしい東海岸かいがんから、それでも人家じんかの集まっている西岸せいがんへと廻って行った頃は、もう既すでに夜であった。椰子やし樹の下の低ひくい民家みんかから、チラチラと灯が洩もれる。その一軒に私は近付いて行った。裏の炊事すいじ場――パラオ語ではウムというが、此処ここ南方なんぽう離島りとうでは何と呼よぶのか知らない――に、焔が音も無く燃もえていた。その上に掛かった鍋には芋か魚でもはいっているのだろう。私が中にはいって行ゆくと、火の傍にいた老婆ろうばが驚いて顔を上げた。黥をした、たるんだ皮膚ひふが、揺ゆれ動うごく焔にチラチラと赤く映はえる。手真似てまねで食を求もとめると、老婆ろうばはすぐに前の鍋の蓋を取って覗いた。だぶだぶの汁つゆの中に小魚こざかなが三、四匹はいっていたが、まだ煮えないらしい。老婆ろうばは立上って奥から木皿きざらを持って来た。タロ芋の切ったのと、燻製くんせいらしい魚の切身きりみが載っていた。別に空腹くうふくな訳ではない。彼らの食物しょくもつの種類しゅるいや味が知りたかっただけである。両方りょうほうをちょっとつまんで味わって見てから、私は日本にぽん語で礼を言って、表へ出た。

浜へ出でると、遥はるか向むかうに、私の乗って来た――そうして、ここ数すう時間じかんの中にはまた乗って立去たちさる――小汽船きせんの燈火とうかが、暗ぐらい海に其処そこだけ明るく浮上ふじょうっていた。ちょうど側を通りかかった島民とうみんの男を呼びとめ、カヌーを漕がせて、船に帰った。

汽船ふねはこの島を夜半やはんに発たつ。それまで汐を待まつのである。

私は甲板こうはんに出て欄干てすりに凭よった。島の方角ほうがくを見みると、闇の中に、ずっと低ひくい所で、五つ六つの灯が微かすかにちらついて見まみえる。空を仰いだ。檣ほばしらや索綱つなの黒ぐろい影の上に遥はるか高く、南国なんこくの星座せいざが美しく燃もえていた。ふと、古代こだい希臘ギリシャの或ある神秘しんぴ家の言った「天体てんたいの妙たえなる諧音かいおん」のことが頭に浮かんだ。賢かしこいその古代人だいにんはこう説いたのである。我々を取巻とりまく天体てんたいの無数むしゅの星どもは常に巨大きょだいな音響おんきょう――それも、調和ちょうわ的な宇宙うちゅうの構成こうせいにふさわしい極きわめて調和ちょうわ的な壮大そうだいな諧音かいおん――を立てて廻転かいてんしつつあるのだが、地上ちじょうの我々は太初たいしょよりそれに慣なれ、それの聞えない世界せかいは経験けいけんできないので、竟ついにその妙なる宇宙うちゅうの大合唱がっしょうを意識いしきしないでいるのだ、と。先刻さっき夕方ゆうがたの浜辺はまべで島民とうみんどもの死絶えた後あとのこの島を思おもい画いたように、今、私は、人類じんるいの絶えてしまったあとの・誰も見みる者も無なあい・暗ぐらい天体てんたいの整然せいぜんたる運転うんてんを――ピタゴラスのいう・巨大きょだいな音響おんきょうを発しつつ廻転かいてんする無数むしゅの球体きゅうたいどもの様子ようすを想像そうぞうして見た。

何か、荒々しい悲かなしみに似たものが、ふっと、心の底から湧上って来くるようであった。

夾竹きょうちく桃の家の女

午後ごご。風がすっかり呼吸こきゅうを停めた。

薄く空一面いちめんを蔽おおうた雲の下で、空気くうきは水分すいぶんに飽和ほうわして重く淀よどんでいる。暑あつい。全く、どう逃れようもなく暑あつい。

蒸風呂むしぶろにはいり過すぎたようなけだるさに、一歩かずほ一歩かずほ重おもい足を引摺ひきずるようにして、私は歩いて行ゆく。足が重おもいのは、一週間しゅうかんばかり寝付いたデング熱がまだ治り切らないせいでもある。疲つかれる。呼吸いきが詰つまるようだ。

眩暈めまいを感かんじて足をとどめる。道傍みちばたのウカル樹の幹に手を突いて身体しんたいを支つかえ、目を閉じた。デングの四十しじゅう度の熱に浮かされた時の・数日前にちぜんの幻覚げんかくが、再ふたたび瞼まぶたの裏に現あらわれそうな気がする。その時と同じように、目を閉じた闇の中を眩まばゆい光を放はなつ灼熱しゃくねつの白金しろかねの渦巻うずまきがぐるぐると廻まわり出だす。いけない! と思ってすぐに目を開あく。

ウカル樹の細こまかい葉一つそよがない。肩甲骨こうこつの下の所に汗が湧き、それが一つの玉となって背中せなかをツーッと伝わって行ゆくのがはっきり判わかる。何という静しずけさだろう! 村中むらなか眠っているのだろうか。人も豚も鶏も蜥蜴とかげも、海も樹々も、咳しわぶき一つしない。

少すこし疲つかれが休やすまると、また歩き出だす。パラオ特有とくゆうの滑らかな敷石しきいし路である。今日きょうのような日では、島民とうみんたちのように跣足はだしでこの石の上を歩いて見ても、大たいして冷たくはなさそうだ。五、六十歩下りて、巨人きょじんの頬髯ほおひげのように攀援類はんえんるいの纏まといついた鬱蒼うっそうたる大榕樹だいようじゅの下まで来た時、始はじめて私は物音ものおとを聞いた。ピチャピチャと水を撥はね返かえす音である。洗身せんしん場だなと思って傍を見みると、敷石しきいし路から少すこし下へ外それる小径こみちがついている。巨大きょだいな芋葉と羊歯しだとを透すかしてチラと裸体らたいの影を見たように思った時、鋭するどい嬌声きょうせいが響いた。つづいて、水を撥はね返して逃出にげだす音が、忍しのび笑わらいの声と交って聞え、それが静しずまると、また元の静寂せいじゃくに返った。疲つかれているので、午後ごごの水浴すいよくをしている娘どもにからかう気も起らない。また、緩ゆるやかな石の坂道さかみちを下り続つずける。

夾竹桃きょうちくとうが紅あかい花を簇むらがらせている家の前まで来た時、私の疲つかれ(というか、だるさというか)は堪えがたいものになって来た。私はその島民とうみんの家に休ませてもらおうと思った。家の前に一尺余あまりの高さに築いた六畳敷たたみじきほどの大石畳いしだたみがある。それがこの家の先祖せんぞ代々の墓なのだが、その横を通って、薄暗うすくらい家の中を覗のぞき込むと、誰もいない。太ふとい丸竹まるたけを並べた床の上に、白じろい猫が一匹ねそべっているだけである。猫は眼をさまして此方こちらを見たが、ちょっと咎とがめるように鼻の上を顰しかめたきりで、また目を細くして寝てしまった。島民とうみんの家故、別に遠慮えんりょすることもないので、勝手かってに上あがり端ばなに腰掛こしかけて休やすむことにした。

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Where this text comes from

This work is in the public domain — its copyright has expired. The digital text was produced by volunteers at Aozora Bunko (青空文庫), Japan's free digital library, from the printed edition named below.

First published
「南島譚」今日の問題社、1942(昭和17)年11月
Source edition (底本)
底本:「山月記・李陵 他九篇」岩波文庫、岩波書店


   1994(平成6)年7月18日第1刷発行

   2003(平成15)年4月15日第15刷発行

底本の親本:「中島敦全集 第一巻」筑摩書房

   1976(昭和51)年3月15日

初出:「南島譚」今日の問題社

   1942(昭和17)年11月

入力:土屋隆

校正:松永正敏

2007年4月14日作成

青空文庫作成ファイル:

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Typed by (入力)
土屋隆
Proofread by (校正)
松永正敏

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