Nihoner

宮沢賢治 Kenji Miyazawa 1896.08.27〜1933.09.21

或る農学生の日誌

あるのうがくせいのにっし

  • Steady
  • 10,312 characters
  • about 26 min
  • 3 sections
  • Public domain

序

ぼくは農のう学校がっこうの三年生になったときから今日きょうまで三年の間のぼくの日誌にっしを公開こうかいする。どうせぼくは字も文章ぶんしょうも下手へただ。ぼくと同じように本気ほんきに仕事しごとにかかった人でなかったらこんなもの実じつに厭いやな面白おもしろくもないものにちがいない。いまぼくが読み返かえしてみてさえ実げに意気地いくじなく野蛮やばんなような気のするところがたくさんあるのだ。ちょうど小学校がっこうの読本とくほんの村のことを書いたところのようにじつにうそらしくてわざとらしくていやなところがあるのだ。けれどもぼくのはほんとうだから仕方しかたない。ぼくらは空想くうそうでならどんなことでもすることができる。けれどもほんとうの仕事しごとはみんなこんなにじみなのだ。そしてその仕事しごとをまじめにしているともう考かんがえることも考かんがえることもみんなじみな、そうだ、じみというよりはやぼな所謂いわゆる田舎臭いなかくさいものに変かわってしまう。

ぼくはひがんで云いうのでない。けれどもぼくが父とふたりでいろいろな仕事しごとのことを云いながらはたらいているところを読んだら、ぼくを軽けいべつする人ひとがきっと沢山たくさんあるだろう。そんなやつをぼくは叩たたきつけてやりたい。ぼくは人を軽けいべつするかそうでなければ妬ねたむことしかできないやつらはいちばん卑怯ひきょうなものだと思おもう。ぼくのように働はたらいている仲間なかまよ、仲間なかまよ、ぼくたちはこんな卑怯ひきょうさを世界せかいから無なくしてしまおうでないか。

一九いっく二五、四月一日わたぬき 火曜日ようび 晴

今日きょうから新あたらしい一学期がっきだ。けれども学校がっこうへ行っても何だか張合はりあいがなかった。一年ひととせ生はまだはいらないし三年生は居いない。居ないのでないもうこっちが三年生なのだが、あの挨拶あいさつを待まってそっと横眼よこめで威張いばっている卑怯ひきょうな上級生じょうきゅうせいが居ないのだ。そこで何だか今まで頭をぶっつけた低ひくい天井裏てんじょううらが無なくなったような気もするけれどもまた支柱しちゅうをみんな取とってしまった桜さくらの木のような気もする。今日きょうの実習じっしゅうにはそれをやった。去年きょねんの九月古ふるい競馬場けいばじょうのまわりから掘って来て植うえておいたのだ。今いまごろ支柱しちゅうを取どるのはまだ早はやいだろうとみんな思った。なぜならこれからちょうど小ちいさな根ねがでるころなのに西風せいふうはまだまだ吹ふくから幹みきがてこになってそれを切ぎるのだ。けれども菊池きくち先生せんせいはみんな除とらせた。花が咲さくのに支柱しちゅうがあっては見みっともないと云いうのだけれども桜が咲さくにはまだ一月もその余よもある。菊池きくち先生せんせいは春になったのでただ面白おもしろくてあれを取ったのだとおもう。

その古ふるい縄なわだの冬の間のごみだの運動場うんどうじょうの隅すみへ集あつめて燃もやした。そこでほかの実習じっしゅうの組の人たちは羨うらやましがった。午前ごぜん中その実習じっしゅうをして放課ほうかになった。教科きょうか書がまだ来ないので明日あすもやっぱり実習じっしゅうだという。午后ごごはみんなでテニスコートを直なおしたりした。

四月二日 水曜日ようび 晴

今日は三年生は地質ちしつと土性どせいの実習じっしゅうだった。斉藤さいとう先生せんせいが先に立って女学校がっこうの裏うらで洪積層こうせきそうと第だい三紀きの泥岩でいがんの露出ろしゅつを見てそれからだんだん土性どせいを調しらべながら小船渡こぶなとの北上きたかみの岸きしへ行った。河かわへ出ている広ひろい泥岩でいがんの露出ろしゅつで奇体きたいなギザギザのあるくるみの化石かせきだの赤あかい高師小僧たかしこぞうだのたくさん拾ひろった。それから川岸かわぎしを下って朝日橋あさひばしを渡わたって砂利じゃりになった広ひろい河原かわらへ出てみんなで鉄鎚かなづちでいろいろな岩石がんせきの標本ひょうほんを集あつめた。河原かわらからはもうかげろうがゆらゆら立って向むこうの水などは何だか風のように見えた。河原かわらで分れて二時頃ごろうちへ帰った。

そして晩ばんまで垣根かきねを結ゆって手伝てつだった。あしたはやすみだ。

四月三日 今日はいい付つけられて一日ついたち古ふるい桑くわの根掘ねほりをしたので大たいへんつかれた。

四月四日、上田君うえだくんと高橋君たかはしくんは今日きょうも学校がっこうへ来なかった。上田じょうでん君は師範しはん学校がっこうの試験しけんを受うけたそうだけれどもまだ入ったかどうかはわからない。なぜ農のう学校がっこうを二年もやってから師範しはん学校がっこうなんかへ行ゆくのだろう。高橋たかはし君は家で稼かせいでいてあとは学校がっこうへは行かないと云ったそうだ。高橋たかはし君のところは去年きょねんの旱魃かんばつがいちばんひどかったそうだから今年ことしはずいぶん難儀なんぎするだろう。それへ較くらべたらうちなんかは半分はんぶんでもいくらでも穫とれたのだからいい方だ。今年ことしは肥料ひりょうだのすっかり僕ぼくが考かんがえてきっと去年こぞの埋うめ合せを付つける。実習じっしゅうは苗代掘なわしろほりだった。去年こぞの秋小ちいさな盛もりにしていた土を崩くずすだけだったから何でもなかった。教科きょうか書がたいてい来たそうだ。ただ測量そくりょうと園芸えんげいが来ないとか云っていた。あしたは日曜にちようだけれども無なくならないうちに買かいに行こう。僕は国語こくごと修身しゅうしんは農事のうじ試験しけん場へ行った工藤くどうさんから譲ゆずられてあるから残のこりは九冊さつだけだ。

四月五日 日

南万丁目みなみまんちょうめへ屋根換やねがえの手伝てつだえ(ママ)にやられた。なかなかひどかった。屋根ねの上うえにのぼっていたら南の方に学校がっこうが長々と横よこたわっているように見えた。ぼくは何だか今日は一日ついたちあの学校がっこうの生徒せいとでないような気がした。教科きょうか書は明日あす買かう。

四月六日むいか 月

今日は入学にゅうがく式しきだった。ぼんやりとしてそれでいて何だか堅苦かたくるしそうにしている新入しんにゅう生はおかしなものだ。ところがいまにみんな暴あばれ出だす。来年らいねんになるとあれがみんな二年生になっていい気になる。さ来年らいねんはみんな僕ぼくらのようになってまた新入しんにゅう生をわらう。そう考かんがえると何だか変へんな気がする。伊藤君いとうくんと行って本屋ほんやへ教科きょうか書を九冊さつだけとっておいてもらうように頼たのんでおいた。

四月七日 火、朝父から金を貰もらって教科きょうか書を買った。

そして今日きょうから授業じゅぎょうだ。測量そくりょうはたしかに面白おもしろい。地図ちずを見みるのも面白おもしろい。ぜんたいここらの田や畑はたけでほんとうの反別たんべつになっている処ところがないと武田たけだ先生せんせいが云いった。それだから仕事しごとの予定よていも肥料ひりょうの入れようも見当けんとうがつかないのだ。僕ぼくはもう少すこし習ならったらうちの田をみんな一枚まいずつ測はかって帳面ちょうめんに綴とじておく。そして肥料ひりょうだのすっかり考かんがえてやる。きっと今年ことしは去年きょねんの旱魃かんばつの埋うめ合せと、それから僕の授業料じゅぎょうりょうぐらいを穫とってみせる。実習じっしゅうは今日きょうも苗代掘なわしろほりだった。

四月八日 水、今日は実習じっしゅうはなくて学校がっこうの行進歌こうしんかの練習れんしゅうをした。僕らが歌って一年ひととせ生がまねをするのだ。けれどもぼくは何だか圧おしつけられるようであの行進歌こうしんかはきらいだ。何だかあの歌を歌うたうと頭が痛いたくなるような気がする。実習じっしゅうのほうが却かえっていいくらいだ。学校がっこうから纏まとめて注文ちゅうもんするというので僕ぼくは苹果りんごを二本と葡萄ぶどうを一本いっぽん頼たのんでおいた。

四月九日〔以下いか空白くうはく〕

一千いっせん九百きゅうひゃく廿にじゅう五年五月さつき五日 晴

まだ朝の風は冷つめたいけれども学校がっこうへ上のぼり口ぐちの公園こうえんの桜さくらは咲さいた。けれどもぼくは桜の花はあんまり好すきでない。朝日あさひにすかされたのを木この下したから見みると何だか蛙かえるの卵たまごのような気がする。それにすぐ古くさい歌やなんか思おもい出だすしまた歌など詠よむのろのろしたような昔むかしの人を考かんがえるからどうもいやだ。そんなことがなかったら僕ぼくはもっと好すきだったかも知れない。誰だれも桜が立派りっぱだなんて云いわなかったら僕はきっと大声たいせいでそのきれいさを叫さけんだかも知れない。僕は却かえってたんぽぽの毛のほうを好すきだ。夕陽ゆうひになんか照てらされたらいくら立派りっぱだか知れない。

今日きょうの実習じっしゅうは陸稲播おかぼまきで面白おもしろかった。みんなで二うねずつやるのだ。ぼくは杭くいを借かりて来て定規じょうぎをあてて播いた。種子しゅしが間隔かんかくを正しくまっすぐになった時はうれしかった。いまに芽めを出せばその通とおり青く見まみえるんだ。学校がっこうの田のなかにはきっとひばりの巣すが三つ四つある。実習じっしゅうしている間になんべんも降おりたのだ。けれども飛とびあがるところはつい見けんなかった。ひばりは降おりるときはわざと巣からはなれて降おりるから飛とびあがるとこを見なければ巣のありかはわからない。

一千いっせん九百きゅうひゃく二十にじゅう五年五月さつき六日むいか

今日きょう学校がっこうで武田たけだ先生せんせいから三年生の修学旅行しゅうがくりょこうのはなしがあった。今月こんげつの十八日の夜十時で発たって二十三じゅうそう日まで札幌さっぽろから室蘭むろらんをまわって来くるのだそうだ。先生せんせいは手に取とるように向むこうの景色けしきだの見て来くることだの話した。

津軽海峡つがるかいきょう、トラピスト、函館はこだて、五稜郭ごりょうかく、えぞ富士ふじ、白樺しらかば、小樽おたる、札幌さっぽろの大学だいがく、麦酒ビール会社かいしゃ、博物館はくぶつかん、デンマーク人の農場のうじょう、苫小牧とまこまい、白老しらおいのアイヌ部落ぶらく、室蘭むろらん、ああ僕ぼくは数かぞえただけで胸むねが踊おどる。五時間じかん目には菊池きくち先生せんせいがうちへ宛あてた手紙てがみを渡わたして、またいろいろ話された。武田たけだ先生せんせいと菊池きくち先生せんせいがついて行かれるのだそうだ。

行ゆく人が二十にじゅう八人にならなければやめるそうだ。それは県けんの規則きそくが全級ぜんきゅうの三分の一以上いじょう参加さんかするようになってるからだそうだ。けれども学校がっこうへ十九円納おさめるのだしあと五円もかかるそうだから。きっと行いけると思おもう人はと云ったら内藤ないとう君や四人だけ手をあげた。みんな町の人たちだ。うちではやってくれるだろうか。父が居いないので母へだけ話はなしたけれども母は心配しんぱいそうに眼めをあげただけで何とも云わなかった。けれどもきっと父はやってくれるだろう。そしたら僕は大おおきな手帳てちょうへ二冊さつも書いて来て見せよう。

五月さつき七日

今朝けさ父へ学校がっこうからの手紙てがみを渡わたしてそれからいろいろ先生せんせいの云ったことを話そうとした。すると父は手紙てがみを読んでしまってあとはなぜか大たいへんあたりに気兼きがねしたようすで僕が半分はんぶんしか云わないうちに止とどめてしまった。そしてよく相談そうだんするからと云った。祖母そぼや母に気兼きがねをしているのかもしれない。

五月さつき八日 行ゆく人が大だいぶあるようだ。けれどもうちでは誰だれも何とも云わない。だから僕ぼくはずいぶんつらい。

五月さつき九日、

三時間じかん目に菊池きくち先生せんせいがまたいろいろ話された。行ゆくときまった人はみんな面白おもしろそうにして聞いていた。僕は頭が熱あつくて痛いたくなった。ああ北海道ほっかいどう、雑嚢ざつのうを下さげてマントをぐるぐる捲まいて肩かたにかけて津軽海峡つがるかいきょうをみんなと船で渡わたったらどんなに嬉うれしいだろう。

五月さつき十日 今日きょうもだめだ。

五月さつき十一日ついたち 日曜にちよう 曇くもり 午前ごぜんは母や祖母そぼといっしょに田打たうちをした。午后ごごはうちのひば垣がきをはさんだ。何だか修学旅行しゅうがくりょこうの話が出てから家中かちゅうへんになってしまった。僕はもう行かなくてもいい。行かなくてもいいから学校がっこうではあと授業じゅぎょうの時間じかんに行ゆく人を調しらべたり旅行りょこうの話をしたりしなければいいのだ。

北海道ほっかいどうなんか何だ。ぼくは今に働はたらいて自分じぶんで金をもうけてどこへでも行くんだ。ブラジルへでも行ってみせる。

五月さつき十二とうに日、今日きょうまた人数にんずうを調べた。二十にじゅう八人に四人足にんそくりなかった。みんなは僕ぼくだの斉藤君さいとうくんだの行かないので旅行りょこうが不成立ふせいりつになると云いってしきりに責せめた。武田たけだ先生せんせいまで何だか変へんな顔をして僕に行けと云いう。僕はほんとうにつらい。明后日みょうごにちまでにすっかり決きまるのだ。夕方ゆうがた父が帰って炉ろばたに居いたからぼくは思い切って父にもう一度ど学校がっこうの事情じじょうを云った。

すると父が母もまだ伊勢詣いせまいりさえしないのだし祖母そぼだって伊勢いせ詣まいり一いっぺんとここらの観音巡かんのんめぐり一いっぺんしただけこの十何年なにどし死しぬまでに善光寺ぜんこうじへお詣まいりしたいとそればかり云っているのだ、ことに去年きょねんからのここら全体ぜんたいの旱魃かんばつでいま外へ遊あそんで歩あるくなんてことはとなりやみんなへ悪わるくてどうもいけないということを云った。

僕はいくら下を向むかいていても炉のなかへ涙なみだがこぼれて仕方しかたなかった。それでもしばらくたってからそんなら僕はもう行かなくてもいいからと云いった。ぼくはみんなが修学旅行しゅうがくりょこうへ発たつ間休やすみだといって学校がっこうは欠席けっせきしようと思ったのだ。すると父がまたしばらくだまっていたがとにかくもいちど相談そうだんするからと云ってあとはいろいろ稲いねの種類しゅるいのことだのふだんきかないようなことまでぼくにきいた。ぼくはけれども気持きもちがさっぱりした。

五月さつき十三じゅうそう日 今日きょう学校がっこうから帰って田に行ってみたら母だけ一人ひとり居いて何だか嬉うれしそうにして田の畦あぜを切っていた。

何かあったのかと思ってきいたら、今にお父さんから聞けといった。ぼくはきっと修学しゅうがく旅行りょこうのことだと思った。

僕ぼくもそこで母が家へ帰かえるまで田打たうちをして助たすけた。

1 / 3 Next →

Where this text comes from

This work is in the public domain — its copyright has expired. The digital text was produced by volunteers at Aozora Bunko (青空文庫), Japan's free digital library, from the printed edition named below.

Source edition (底本)
底本:「イーハトーボ農学校の春」角川文庫、角川書店

   1996(平成8)年3月25日初版発行

底本の親本:「【新】校本宮澤賢治全集 第十巻 童話 本文篇」筑摩書房

   1995(平成7)年9月25日初版第1刷発行

※底本は、一つ目の「猿ヶ石」の「ヶ」(区点番号5-86)は大振りに、二つ目の「猿ヶ石」のそれは、小振りにつくっています。

入力:ゆうき

校正:noriko saito

2009年8月23日作成

2023年7月8日修正

青空文庫作成ファイル:

このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
Typed by (入力)
ゆうき
Proofread by (校正)
noriko saito

Aozora library card for this work ↗ · How Nihoner sources and licenses its content

More by 宮沢賢治

Browse the whole library →