Nihoner

小川未明 Mimei Ogawa 1882.04.07〜1961.05.11

青いボタン

あおいボタン

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小学校時分しょうがっこうじぶんの話はなしであります。

正雄まさおの組くみへ、ある日ひのこと知しらない女おんなの子こがはいってきました。

「みなさん、今日きょうから、この方かたがお仲間なかまになられましたから、仲なかよくしてあげてください。」と、先生せんせいはいわれました。

知しらない人ひとがはいってくることは、みんなにも珍めずらしさを感かんじさせました。正雄まさおばかりではありません。他国たこくからきた人ひとに対たいしては、なんとなくすこしの間あいだははばかるような、それでいて早はやく親したしくなって、話はなしてみたいような気持きもちがしたのであります。

それほど、他国たこくの人ひとのだれか、知しらない遠とおい国くにからきた人ひとだという、一種しゅの憧あこがれ心ごころをそそったのでした。はじめの二、三日にちは、その女おんなの子こに対たいして、べつに親したしくしたものもなかったが、また、悪口わるくちをいうようなものもありませんでした。

だんだん日ひがたつと、こんどは反対はんたいに、独ひとりぼっちの女おんなの子こを、みんなして、悪口わるくちをいったり、わざと仲間なかまはずれにしたりして、おもしろがったのでした。その女おんなの子この姓せいは、水野みずのといいましたが、顔かおつきが、どこかきつねに似にていましたところから、だれいうとなく「きつね」というあだ名なにしてしまいました。

休やすみの遊あそぶ時間じかんになると、みんなは、女おんなの子こを取とり巻まいて、「きつね、きつね。」といって、はやしたてました。

その女おんなの子こは、負まけぎらいな、しっかりした子こでしたけれど、相手あいてが多数たすうなので、どうすることもできませんでした。それに、知しらない土地とちの学校がっこうにはいったことですから、小ちいさくなって、こごんで黙だまっていましたが、ついにたまらなくなって、泣なき出だしてしまいました。しかし、時間じかんになって、教室きょうしつへはいる時分じぶんには、いつものごとく泣なきやんでいましたために、先生せんせいは、ちっともそのことを知しりませんでした。

ある日ひのこと、正雄まさおの家うちへ、知しらないおばさんがはいってきました。

「私わたしの家うちの娘むすめとお坊ぼっちゃんとは、学校がっこうで同おなじ組くみだそうでございます。それで、今日きょうは、おねがいがあって上あがりました。娘むすめが、毎日まいにち、学校がっこうで、きつね、きつねといわれますそうで、学校がっこうへゆくのをいやがって困こまりますが、どうかお坊ぼっちゃんにお願ねがいして、みんながそんなことをいわないようにしていただきたいものです……。」と、頼たのみました。

正雄まさおの家うちと水野みずのの家うちとは、あまりそう遠とおくなかったので、それで、彼女かのじょの母親ははおやがきたものと思おもわれます。

学校がっこうでは、正雄まさおも、いっしょになって悪口わるくちをいった一人ひとりなのでした。なかには、まったくそんな悪口わるくちなどをいわずに、黙だまっていた生徒せいともありました。いま、正雄まさおは、自分じぶんの行為こういに対たいして、気恥きはずかしさを感かんぜずにはいられなかったのです。

「それは、お気きの毒どくのことでございます。うちの正雄まさおに、あとからよくいいきかせますから……。」と正雄まさおのお母かあさんは、水野みずののおばさんに答こたえられました。

女おんなの子この母親ははおやが帰かえった後あとで、正雄まさおは、お母かあさんから、弱よわいものをみんなしていじめることは卑怯ひきょうなことだといわれて、正雄まさおは、真まことに悪わるかったと感かんじました。

あくる日ひから、正雄まさおは学校がっこうへいって、みんなが、「きつね、きつね。」といって、からかった時分じぶんに、自分じぶんはいわなかったばかりでなく、みんなに、

「弱よわい女おんなの子こをいじめるのは、卑怯ひきょうだから、よそう。」といいました。

正雄まさおのいったことを、ほんとうだと思おもって悪口わるくちをいうのをよしたものも多数たすうありましたが、なかには、「君きみは、きつねの味方みかたになったのかい。」といって、あざ笑わらったものもあります。

しかし、いままでのように、水野みずのに対たいして、「きつね。」といって、からかうものがなくなりました。ただ、ときどき忘わすれていたのを思おもい出だしたように、彼女かのじょがおとなしく遊あそんでいるところへいって、「きつね。」といいますと、彼女かのじょは、もう負まけていずに、反抗はんこうしました。そして、男おとこの子このほうが、しまいには逃にげ出だしてしまったのです。

正雄まさおと彼女かのじょとは、だんだん仲なかよしになってまいりました。正雄まさおのおかげで、このごろは学校がっこうへいっても、みんなからいじめられないのを喜よろこんでいました。そして、どうか自分じぶんの家うちへ遊あそびにきてくれるようにといいました。

ある日ひのこと、正雄まさおは、彼女かのじょの家うちへ遊あそびにゆきますと、女おんなの子この母親ははおやはたいそうお礼れいをいわれました。そして、正雄まさおがよく自分じぶんの子供こどもをいたわってくれたといって、お菓子かしなどをくださいました。

女おんなの子このお父とうさんは、すでに死しんでなかったのです。その家うちは、彼女かのじょとお母かあさんとの、さびしい二人ふたりぎりの生活せいかつでありました。女おんなの子こは、絵本えほんを出だしたり、お人形にんぎょうを出だして見みせたりしました。二人ふたりは、いっしょに、その絵本えほんをひろげてながめていましたが、その遊あそびにも飽あきた時分じぶんでした。

「ああ、私わたしこの箱はこの中なかに、大事だいじにして持もっている、青あおい石いしのボタンがあってよ。亡なくなられたお父とうさんからいただいたの。これを、あなたにあげますわ。」といって、彼女かのじょは、小ちいさな蒔絵まきえのしてある香箱こうばこのふたを開あけて、中なかから、三個このボタンを出だして、正雄まさおの手てに渡わたしました。

正雄まさおは、それをしみじみと見みながら、きれいなボタンだと思おもいました。青あおい色いろが、いかにも美うつくしかったのです。

「お母かあさんに聞きかなくて、しかられはしない?」と、正雄まさおはいいますと、

「私わたしのですから、あげてもいいの。」と、彼女かのじょは笑わらいながら答こたえました。

正雄まさおは、それをもらって、家うちに帰かえったのでありました。

学校がっこうへゆくと、二人ふたりは、家うちで遊あそんだようには親したしく、みんながなにかいうかと思おもって、できませんでした。

それは、正月しょうがつのことでありました。学校がっこうが十日とおかあまり休やすみがあった、その後あとのことです。学校がっこうへゆくと、水野みずのの姿すがたが見みえませんでした。どうしたのだろう? かぜでもひいて休やすんでいるのでなかろうかと正雄まさおは、思おもっていました。

ある日ひのこと、先生せんせいは、みんなに向むかって、

「水野みずのさんは、遠とおい国くにへ引ひっ越こしなすって、学校がっこうを退ひきましたから、空あいている席せきを順じゅんにつめてください。」といわれました。正雄まさおは、はじめてそれと知しってびっくりしてしまったのです。

「どこへ越こしていってしまったろう。」と、正雄まさおは、彼女かのじょを思おもい出だしてさびしい気きがしたのであります。

正雄まさおは、彼女かのじょからもらった、三個このボタンを取とり出だしてながめていました。はじめは、それほどとも思おもわなかったのが、だれでも、このボタンを見みた人ひとは、「まあ、きれいなボタンだこと。」といって、ほめぬものはなかったのでした。

そのうちに、春はるとなりました。空そらの色いろは美うつくしく、小鳥ことりは鳴ないて、いろいろな花はなが咲さきました。正雄まさおはこうした景色けしきを見みるにつけて彼女かのじょのことを思おもい出だしました。

ちょうど彼女かのじょが、学校がっこうへ上あがったときには、唇くちびるをはらして、髪かみをみょうな形かたちに結ゆっていたので、どこか、その顔かおつきがきつねに似にていると思おもったのが、後のちには、そうでなかったこと。そして、その目めの色いろのうるんで、やさしみのあったのが、ちょうど、この春はるの空そらを見みるときに感かんじるのと似にたものがあったような気きがして、正雄まさおは、空想くうそうにふけりながら、うっとりとしたのであります。

「なんで、黙だまっていったんだろうか? そして、手紙てがみもくれないのだろうか。遠とおい国くにってどちらの方ほうなんだろう……。」と、正雄まさおは思おもいました。

三個このボタンだけは、まだ、彼かれの手てに残のこっていました。正雄まさおは、それを糸いとにつないで、持もって遊あそんでいました。その青あおい色いろは、水みずの色いろのようにも、また空そらの色いろのようにも、ときには、海うみの色いろのようにも、光線こうせんの具合ぐあいで、それは、それは、美うつくしく見みえたのであります。このボタンを見みた人ひとは、だれでもちょっと立たち止どまって、じっと目めをその上うえに落おとさないものはありませんでした。知しらない人ひとは、黙だまって見返みかえってゆきました。知しった人ひとは、「まあ、美うつくしいボタンだこと、ちょっと見みせてください。」といって、掌てのひらの上うえに載のせてながめたのであります。

しかし、だれも、この青あおいボタンが、石いしで造つくられたものか、貝かいで造つくられたものか、判断はんだんに苦くるしんだのでありました。

「この青あおいボタンを、一つくださいな。」と、正雄まさおは、たくさんの人ひとからいわれました。けれど、このボタンをなくしてしまうことは、彼女かのじょに対たいする思おもい出でからも、遠とおく離はなれてしまうことだと考かんがえて、彼かれは、だれにもやらなかったのであります。

「このボタンを僕ぼくにくれた、女おんなの子この居所いどころがわかって、そして聞きいてみなければあげられない。その女おんなの子こはお父とうさんからもらって、大事だいじにしていたのを僕ぼくにくれたのだから……。」と答こたえました。

みんなは、「もう、いままで、なんの便たよりもないのだから、その女おんなの子この居所いどころのわかりっこはない。」といいました。

しかし、正雄まさおは、青々あおあおと晴はれた大空おおぞらを見渡みわたして、「この、空そらの下したのどこかに、きっと女おんなの子こは、お母かあさんと住すんでいるのだろう……。」こう考かんがえると、いい知しれぬ悲かなしさと、なつかしさとが、感かんじられたのであります。

ある日ひのことでした。近所きんじょに住すむ、脊せの高たかい、顔かおの黒くろい男おとこが、

「坊ぼっちゃん、私わたしに、どうかこのボタンを一つください。私わたしは、これを時計とけいのかぎにぶらさげておきます。私わたしは、汽車きしゃに乗のって、方々ほうぼうを歩あるくのが勤務きんむですから、どこかで、そのお嬢じょうさんが私わたしの乗のっている汽車きしゃにはいっておいでになり、私わたしの胸むねにぶらさがっている、この青あおいボタンを見みて、どうして私わたしが手てに入いれたかとおたずねにならんものでもありません。私わたしの乗のっている汽車きしゃは、幾いく百マイルも先さきまでゆき、その間あいだに、数かぞえきれないほどの停車場ていしゃばを通過つうかするのですから……。」といいました。

正雄まさおは、この若わかい汽車乗きしゃのりのいうことを聞きくと、なるほど、そうしたことがあるかもしれないと思おもいました。それで、女おんなの子この居所いどころがわかったら、すぐに知しらせてくれるようにという約束やくそくで、この男おとこに青あおいボタンを一つ分わけてやりました。またある日ひのことでありました。正雄まさおは、家うちの前まえで遊あそんでいますと、金魚きんぎょ売うりが通とおりました。金魚きんぎょ売うりは、みんなを見みると、金魚きんぎょのはいっているおけを地ちに下おろしました。みんなは、そのまわりに集あつまって、金魚きんぎょをのぞいて見みたのです。尾おの長ながいのや、円まるいのや、また黒くろと金色きんいろのまだらなどの金魚きんぎょが泳およいでいました。

そのとき、金魚きんぎょ売うりは、正雄まさおの持もっていた青あおいボタンを見みつけて、目めをまるくしながら、

「坊ぼっちゃん、いい金魚きんぎょをあげますから、そのボタンを一つくださらないか?」と、頼たのみました。

正雄まさおは、金魚きんぎょ売うりのおじさんに、青あおいボタンの由来ゆらいを話はなしたのです。すると、金魚きんぎょ売うりは、

「坊ぼっちゃん、私わたしは、こうして、諸国しょこくを流浪るろうします。それは、どんな村むらでも、また小ちいさな町まちでも、春はるから夏なつにかけて、歩あるいてまわります。この青あおいボタンを私わたしのかぶっている笠かさのひもに結むすびつけておいたら、いつか、そのお嬢じょうさんが、金魚きんぎょを買かおうとなさる時分じぶんに見みつけて、どこから、この青あおいボタンを手てに入いれたかとお聞ききなさらないものでもありません……。」といいました。

正雄まさおは考かんがえましたが、なるほど、この金魚きんぎょ売うりのいうことは、ありそうなことでした。そこで、青あおいボタンを一つ分わけてやりました。金魚きんぎょ売うりは金魚きんぎょを、正雄まさおがいらないといったのに、三びきくれました。

正雄まさおの持もっていた、青あおいボタンは、残のこり一つになりました。彼かれはこの一つのボタンだけは、けっしていつまでも放はなすまいと思おもいました。いつになったら、停車場ていしゃばで、また、汽車きしゃの中なかで、あの男おとこは、彼女かのじょに出であうでしょうか。そして、またあの金魚売きんぎょうりは、いつになったら、彼女かのじょの住すんでいる町まちへ着つくでしょうか。

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Where this text comes from

This work is in the public domain — its copyright has expired. The digital text was produced by volunteers at Aozora Bunko (青空文庫), Japan's free digital library, from the printed edition named below.

First published
「赤い鳥」1925(大正14)年1月
Source edition (底本)
底本:「定本小川未明童話全集 5」講談社

   1977(昭和52)年3月10日第1刷発行

初出:「赤い鳥」

   1925(大正14)年1月

※表題は底本では、「青(あお)いボタン」となっています。

※初出時の表題は「青い釦」です。

入力:特定非営利活動法人はるかぜ

校正:雪森

2013年4月10日作成

青空文庫作成ファイル:

このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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特定非営利活動法人はるかぜ
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雪森

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