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若山牧水 Bokusui Wakayama 1885.08.24〜1928.09.17

青年僧と叡山の老爺

せいねんそうとえいざんのろうや

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一週間しゅうかんか十日ほどの予定よていで出でかけた旅行りょこうから丁度ちょうど十七日目にちもくに帰って来た。そうして直すぐ毎月まいげつ自分じぶんの出だしている歌の雑誌ざっしの編輯へんしゅう、他の二三にさん雑誌ざっしの新年しんねん号への原稿げんこう書かき、溜りに溜っている数種新聞しんぶん投書とうしょ歌の選評せんぴょう、そうした為事しごとにとりかからねばならなかった。昼だけで足らず、夜も毎晩まいばん半徹夜てつやの忙しさが続いた。それに永く留守るすしたあとのことで、訪問ほうもん客は多おおし、やむなく玄関げんかんに面会めんかい御猶予ゆうよの貼紙はりがみをする騒さわぎであった。

或ある日の正午しょうごすぎ、足に怪我けがをして学校がっこうを休んでいる長男ちょうなんとその妹の六つになるのとがどやどやと私の書斎しょさいにやって来た。来くる事をも禁じてある際なので私は険けわしい顔をして二人ふたりを見た。

「だってお玄関げんかんに誰もいないんだもの、……お客さんが来たよ、坊さんだよ、是非ぜひ先生せんせいにお目にかかりたいって。」

坊さんというのが子供こどもたちには興味きょうみを惹いたらしい。物貰ものもらいかなんどのきたない僧服そうふくの老人ろうじんを想像そうぞうしながら私は玄関げんかんに出て行った、一言いちごんで断ってやろう積ずもりで。

若わかい、上品じょうぼんな僧侶そうりょが其処そこに立っていた。あてが外はずれたが、それでもこちらも立たったまま、

「どういう御用ですか。」

と問うた。

返事へんじはよく聞き取れなかった。やりかけていた為事しごとに充分じゅうぶん気を腐らしていた矢先やさきなので、

「え?」

と、やや声高こわだかに私は問い返した。

今度こんどもよくは分らなかったが、とにかく一身上しんしょうの事で是非ぜひお願ねがいしたい事があって京都きょうとからやって来た、という事だけは分った。見ればその額には汗がしっとりと浸しみ出でるている。これだけ言ゆうのも一生いっしょう懸命けんめいだという風である。何となく私は自分じぶんの今迄の態度たいどを恥じながら初はじめて平常へいじょうの声になって、

「どうぞお上のぼり下さい。」

と座敷ざしきに招じた。

京都きょうとに在ある禅宗ぜんしゅう某派の学院がくいんの生徒せいとで、郷里ごうりは中国ちゅうこくの、相当そうとうの寺の息子むすこであるらしかった。幼おさない時から寺が嫌ぎらいで、大きくなるに従っていよいよその形式けいしき一方いっぽう偽礼ぎれい一点いってん張でやってゆく僧侶そうりょ生活せいかつが眼に余って来た。学校がっこうとてもそれで、父に反対はんたいしかねて今まで四年間ねんかん漸ようやく我慢がまんをして来たものの、もうどうしても耐えかねて昨夜さくや学院がくいんの寄宿きしゅく舎を抜ぬけて来た。どうかこれから自分じぶん自身おのれの自由じゆうな生活せいかつが営いとなみ度たい。それには生来せいらいの好すきである文学ぶんがくで身を立て度く、中にも歌は子供こどもの時分じぶんから何彼と親しんでいたもので、これを機として精一せいいち杯の勉強べんきょうがしてみたい。誠に突然とつぜんであるけれど私を此処ここに置いて、庭の掃除そうじでもさせて呉れ、というのであった。

折々こうした申込もうしこみをば受うけるので別にそれに動かされはしなかったが、その言ゆう所が真面目まじめで、そしてよほどの決心けっしんをしているらしいのを感ぜぬわけにはゆかなかった。

「君には兄弟けいていがありますか。」

「いいえ、私一人ひとりなのです。」

「学校がっこうはいつ卒業そつぎょうです。」

「来年らいねんです。」

「歌をばいつから作っていました。」

「いつからと云いう事もありませんが、これから一生いっしょう懸命けんめいにやる積ずもりです。」

という風の問答もんどうを交しながら、どうかしてこの昂奮こうふんした、善良ぜんりょうな、そしていっこくそうな青年せいねんの思い立ちを飜ひるがえさせようと私は努めた。別に歌に対して特別とくべつの憧憬しょうけいや信念しんねんがあるわけでなく、唯だ一種いっしゅの現状げんじょう破壊はかいが目的もくてきであるらしいこの思い立ちを矢張やはり無謀むぼうなものと見みるほかはなかったのだ。

しかし、青年せいねんはなかなか頑固がんこであった。永ながい間考かんがえ抜いて斯こうして飛とび出だして来た以上いじょう、どうしても目的もくてきを貫きます、先生せんせいが許ゆるして下さらねばこれから東京とうきょうへなり何処いずこへなり行きます、と言い張っている。

私は彼を散歩さんぽに誘うた。初はじめはほんのかりそめごとにしか考かんがえなかったのだが、あまりに彼かの本気ほんきなのを見みると次第しだいにこちらも本気ほんきになって来た。そしていろいろ自宅じたくの事情じじょうを聞きき、彼かの性質せいしつをも見ていると、どうしても彼を此処ここで引き止めねばならぬ気になって来た。気持きもちを変かえるため、散歩さんぽをしながらもし機会きかいがあったら徐おもむろにそれを説こうと、出渋ぶるのを無理むりに連ずれだって、わざと遠とおく千本せんぼん浜の方へ出でかけて行った。

其処そこに行ゆくのは私自身おのれ実げに久しぶりであった。松原まつばらの中に入ってゆくと、もう秋というより冬に近い静しずけさがその小松こまつ老松おいまつの間に漂ただようていた。海も珍しく凪ないでいた。入江いりえを越えた向むかうには伊豆いずが豊ゆたかに横よこたわり、炭焼すみやきらしい煙が二三にさんヶ所にも其処そこの山から立昇っているのが見えた。

砂のこまかな波打なみうち際に坐って、永ながい間、京都きょうとのこと、其処そこの古ふるい寺々のこと、歌のこと、地震じしんのこと、それとはなしにまた彼かの一身いっしんのことなどを話はなしているうちに、いつか上あげ潮しおに変ったと見えて小波しょうはの飛沫しぶきが我等の爪先つまさきを濡ぬらす様になった。では、そろそろ帰がえりましょうか、と立たち上のぼる拍子ひょうしに彼は叫んだ。

「ア、見えます見えます、いいですねエ。」

と。先刻さっきからまちあぐんでいた富士ふじが、漸ようやくいま雲から半身はんしんを表わしたのだ。昨夜さくやの時雨しぐれで、山はもう完全かんぜんにまっ白しろになっていた。

「ほんとうにいい山ですねエ、何と言ったらいいでしょう。」

私はそれを聞ききながら思わず微笑えみした。漸ようやく彼が全すべてを忘わすれて、青年せいねんらしい快活かいかつな声を出だすのを聞いたからである。

帰って来くると、子供こどもたちが四人、門のところに遊んでいた。そして、

「ヤ、帰って来た帰って来た。」

と言いながら飛びついて来た。一人ひとりは私に、一人ひとりはその若わかい坊さんに、という風に。

「なぜ斯んな羽織はおりを着てんの?」

客に馴なれている彼等は、いつかもうその人に抱かれながらその墨染すみぞめの法衣ほうえの紐を引ひっ張ぱり、斯こうした質問しつもんを出だして若わかい禅宗ぜんしゅうの坊さんを笑わらわすほどになっていた。

その翌朝よくあさであった。日のあたった縁側えんがわでいま受取った郵便ゆうびん物の区分くぶんをしていると、中ちゅうから一つの細長ほそながい包が出て来た。そしてその差出さしで人を見みると、私は思わず若わかい坊さんを呼よびかけた。

「これは面白おもしろい、昨日さくじつ君に話した比叡山えいざんの茶店ちゃみせの老爺ろうやから何か来ましたよ、また短冊たんじゃくかな。」

そう言いながらなおよく見みると、表は四年も昔に引越ひっこして来た東京とうきょうの旧住所じゅうしょ宛になっている。スルト、こちらに越して来てから一度ひとたびの音信おんしんもしなかったわけである。中ちゅうから出たのは一枚の短冊たんじゃくと一本いっぽんの扇子おうぎであった。

短冊たんじゃくには固苦かたくるしい昔流の字で、

「うき沈しずみ登のぼり下おりのみち行を越していまては人のゆくすゑ、粟田あわだ」

と書いてある。粟田あわだとは彼かの苗字みょうじである。変だなア、といいながら一方いっぽうの扇子おうぎを取って見みると何やら書いた紙で包まれてある。紙には矢張やはり粟田あわだ爺さんの手らしく、

「失礼しつれいながら呈上ていじょう仕候」

とある。中を開いてみると、

「粟田翁でんおうの金婚式こんしきを祝いわいて」

という前書まえがきで、

「茶の伴や妹背いもせいそちの雪月花げっか、佳鳴」

と認したためてある。

「ホホオ!」

私は驚いた。

「あのお爺やじさん、金婚式こんしきをやったのかね。」

「ヘヘエ、もうそんなお爺やじさんですか、でもねエ、よく忘わすれずに斯こうして送って呉れますわネ。」

いつか側に来ていた妻も斯こう言った。

そうすると短冊たんじゃくの、「うき沈しずみ……」も意味いみが解って来くる。念のために裏をかえしてみると、「大正たいしょう十二とうに年」と大きく真中まなかに書いて、下に二つに割って「七十しちじゅう六歳、六十ろくじゅう五歳」と並なべて書いてあるのであった。

大正七せいしち年の初夏しょかであった。私は京都きょうとに遊んで、比叡山えいざんに登ってすぐ降りて来くるというでなく、暫しばらく滞在たいざいしたい希望きぼうで、山上さんじょうの朝夕ちょうせきをいろいろ心に描きながら登って行ったのであった。登のぼりついたのは夕方ゆうがたで、人に教わっていた通とおり、大勢たいせいの人を泊めて呉くれるという宿院しゅくいんというに行き、取次とりつぎに出た老婆ろうばに滞在たいざいのことを頼んだ。ところが老婆ろうばの答は意外いがいであった。今はただ一泊の人を泊めてあげるだけで、滞在たいざいの人は一切いっさい泊とめることはならぬ規則きそくになっているのじゃ、というのだ。イヤ、今までよく滞在たいざいさせて貰ったという話を聞きき、その積ずもりで登って来たので是非ぜひそうして貰もらいたい、と頼たのむと、今までは今までや、ならんというたらならんのじゃ、という風で、まごまごするとその夜の泊とまりも許されまじい有様ありさまとなった。止むなく、私はどうか今夜こんやだけ、と頼んで漸ようやく部屋へやに通された。老婆ろうばがその通とおり、給仕きゅうじに出た小僧しょうそうもまた不愉快ゆかい千万せんまんな奴で、遙々楽しんで来たこの古ふるめかしい山上さんじょうの幻の影は埒らちもなくくずれてしまった。

で、翌朝夜ちょうやがあけるのを待って宿院しゅくいんを出た。すぐ下山げざんしようとしたが、斯こんな風では恐おそらく二度とこの山に登のぼる気にもなれまい、来たを幸い、普通ふつう一遍いっぺんの見物けんぶつだけでもやって行こうと踵きびすを返がえして、根本こんぼん中堂ちゅうどうからずっと奥の方へ登って行った。当山とうざんの開祖かいそ伝教でんぎょう大師だいしの遺骨いこつを納めてあるという浄土じょうど院へゆく路と四明しめいヶ嶽へ行ゆく路との分わかれ目めの所に一軒の茶店ちゃみせのあるのが眼についた。その時のことを書いておいたものがあるのでその文章ぶんしょうを此処ここに引いて見よう。

ちょうど通りかかった径が峠みた様になっている処に一軒の小ちいさな茶店ちゃみせがあった。動うごきやまぬ霧はその古ふるびた軒にも流ながれていて、覗いてみれば薄暗うすくらい小屋しょうおくの中で一人ひとりの老爺ろうやが頻しきりに火を焚いている。その赤あかい火の色がいかにも可懐しく、ふらふらと私は立ち寄った。思いがけぬ時刻じこくの客に驚いて老爺ろうやは小屋しょうおくの奥から出て来た。髪も頬鬚も半分はんぶん白くなった頑丈がんじょうな大男おうおとこで、一口ひとくち二口ふたくち話はなし合あいっているうちにいかにも人のいい老爺ろうやであることを私は感じた。そして言うともなく昨夜さくやからの愚痴ぐちを言って、何処いずこか爺さんの知ってる寺で、五六日むいか泊めて呉くれる様な所はあるまいか、と聞いてみた。暫しばらく考かんがえていたが、あります、一つ行ってきいて見ましょう、だが今起きたばかりで、それに御覧ごらんのとおり私一人ひとりしかいないのでこれからすぐ出でかけるというわけにはゆかぬ、追っ附け娘たちが麓から登って来くるからそしたら直すぐ行って問合といあわせましょう、まア旦那だんなはそれまで其処そこらに御参詣さんけいをなさっていたらいいだろうという思いがけない深切しんせつな話である。私は喜んだ、それが出来しゅったいたらどれだけ仕合しあわせだか分らない。是非ぜひ一つ骨折こっせつって呉くれる様にと頼み込んで、サテ改あらためて小屋しょうおくの中を見廻みまわすと駄菓子かしに夏蜜柑みかん煙草たばこなどが一通ひととうり店みせさきに並なべてあって、奥には土間どまの側に二畳か三畳ほどの畳が敷いてあるばかりだ。お爺やじさんはいつも一人ひとりきり此処ここにいるのか、ときくと、夜は年中ねんじゅう一人ひとりだが、昼になると麓から女房にょうぼうと娘とが登って来くる、と言いながら、ほんの隠居いんきょ為事しごとに斯んなことをして居おるが馴なれて見れば結局けっきょくこの方ほうが気楽きらくでいいと笑っている。小屋しょうおくのうしろは直すぐ深ぶかい大おおきな渓たにで、いつの間にか此処ここらに薄らいだ霧がその渓いっぱいに密雲みつうんとなって真白まっしろに流れ込んでいる。空にもいくらか青あおいところが見えて来た。では一廻まわりして来くるから何卒なにとぞお頼たのみすると言いおいて私は茶店ちゃみせを出た。

その頼たのみは叶ったのであった。叶って私の泊とまる事になった寺は殆ほとんど廃寺はいじにちかい荒寺で、住職じゅうしょくもあるにはあるのだが麓の寺とかけ持ちで殆ほとんどこちらに登って来くることもなく、平常へいじょうはただ年寄った寺男てらおとこが一人ひとり居おるだけであった。それだけに静寂せいじゃく無上むじょう、実げに好このましい十日ばかりを私は深ぶかい木立こだちの中の荒寺で過すごすことが出来しゅったいた。

その寺男てらおとこの爺というのがひどく酒ずきで、家倉地くらち面から女房にょうぼう子供こどもまで酒に代えてしまい、今では木像もくぞうの朽ちたが如くになってその古寺ふるでらに坐っているのであった。耳も殆ほとんど聾つんぼであった。が、同おんなじ酒ずきの私にはいい相手あいてであった。毎日まいにち酒の飲のめる様になった老爺ろうやの喜よろこびはまた格別かくべつであった。旦那だんなが見えてからお前まえすっかり気が若くなったじアないか、と峠茶屋ちゃやの爺じいやにひやかされるほど、彼はいそいそとなって来た。峠茶屋ちゃやの爺じいやもまたそれが嫌ぎらいでなかった。

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Where this text comes from

This work is in the public domain — its copyright has expired. The digital text was produced by volunteers at Aozora Bunko (青空文庫), Japan's free digital library, from the printed edition named below.

Source edition (底本)
底本:「仏教の名随筆 1」国書刊行会

   2006(平成18)年6月20日初版第1刷発行

底本の親本:「若山牧水全集 第七卷」雄鷄社

   1958(昭和33)年11月30日発行

※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

入力:門田裕志

校正:noriko saito

2019年7月30日作成

青空文庫作成ファイル:

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Typed by (入力)
門田裕志
Proofread by (校正)
noriko saito

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