序文
幼い紀行文をまた一冊に纏めて出版することになった。実はこれは昨年の九月早々市上に出る事になっていて既に製本済になり製本屋に積上げられてあったところを例の九月一日の震火に焼かれてしまったものであった。幸い紙型だけは無事に印刷所の方に残っていたので、本文をばすべてもとのままにし、僅かにこの序文だけを書き改めて出すことになったのである。
紀行文集として本書は私の第三冊目にあたる。第一は『比叡と熊野』
(大正八年九月発行)
、第二は『静かなる旅をゆきつつ』
(大正十年七月発行)
、そしてこれである。なおそれ以前雑文集として出したものの中にも数篇の紀行文があったとおもう。
本書に輯めた十二篇は、新しいのを初めに、旧い作を終りの方に置いてある。即ち「みなかみ紀行」は昨年四月初めの執筆で最後の「伊豆紀行」は一昨々年あたりに書いたものであった。或る一つの旅のことを幾つかの題目のもとに分けて書いてあるのがあるが、これは新聞や雑誌等から求められて書いた場合にその要求の行数や期日に合わすために自ずと斯うなったもので、中には永い時日を間に置いて書き継いだものなどもある。従って文体や筆致及び文の長短等に調和を欠いた処のあるを憾む。
なお言い添えておきたいのは、私の出懸ける旅は多く先ず心を遣るための旅である。ためにその紀行文もともすればその場その場の気持や情緒を主としたものとなりがちで、どうしても案内記風のものとは離れてゆこうとする。で、大概は当っているであろうが、文中に認められた里数とか方角とかに就いては必ずしも正確を期し難いという事である。要するに若し読者が私と共にこれら山川の間に心を同じゅうして逍遥し得らるる様な事にでもなれば本書出版の望みは達せられたと見ていいのである。
旅ほど好ましいものはない。斯うして旅に関して筆を執っていると早やもう心のなかには其処等の山川草木のみずみずしい姿がはっきりと影を投げて来ているのである。折も折、いまは一年中落葉のころと共に私の最も好む若葉の季節で、峰から渓間、渓間から野原にかけて茂っているであろう樹木たち、その間に啼きかわして遊んでいるであろういろいろの鳥たちのことを考えると、しみじみ胸の底が痛んで来る。
旅はほんとに難有い。よき旅をし、次第によき紀行文を書いてゆきたいものといままた改めて思う。
大正十三年五月廿日
富士山麓沼津市にて
若山牧水
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- Source edition (底本)
- 底本:「みなかみ紀行」中公文庫、中央公論社
1993(平成5)年5月10日発行
底本の親本:「みなかみ紀行」書房マウンテン
1924(大正13)年7月
※「陰」と「蔭」、「着いた」と「著いた」、「背」と「脊」、「舟」と「船」、「湯ヶ島」と「湯が島」の混在は、底本通りです。
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校正:岡村和彦
2017年7月11日作成
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